マタイ福音書、全28章を読むために役立つ解説を、一日一章、毎日更新しています。
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ちょこっと解説
イエスは直弟子として12人をお選びになりました。
しかしそれは、彼らが他の人々より秀でていたとか、イエスの教えに長じていたからではありません。
むしろ弱さや問題を抱えた人々がたくさん含まれているのです。
マタイはすぐ前の章で弟子になったばかりの徴税人でした。
熱心党とは当時ユダヤを支配していたローマ帝国から武力によってユダヤを解放しようとしていたグループでした。武力闘争や、時には暗殺を行う過激派(シカリ派)もあったと言われます。
のちにイエスを裏切り、売り渡す罪を犯したイスカリオテのユダ、そして三度の否認がはっきりと福音書に書き残されていくシモン・ペトロ、「雷の子らボアネルゲス(マルコ3・17)」と呼ばれたほど、おそらく喧嘩っ早かっただろうゼベダイの子ヤコブとヨハネの兄弟など……。
何かしらの問題児ばかりがイエスの直弟子とされていることがわかります。
もしかしたら彼らがよりイエスの教えをより深く受け取るべき人々であったのではないかと思わずにはいられません。
しかしそのような欠けのある人々が初代教会を力強く建てていったことを考えると、神様の選びというものは私たちの判断を超えて恵み深いものです。
イエスはこの12人を宣教へと遣わしていきます。
そこで彼らが伝えたのはまず「平和(12節)」でした。
しかし一方で、受け取る人々の側には、弟子たちに危害を加えたり、反対し、迫害する人々も多くいることを、より多くの言葉でイエスは忠告していきます。
そしてそれによって折れることがないように、それは「わたしの名のため」の迫害であると言い、家族でさえ敵対するような関係になったとしても「恐れるな」と励ましていくのです。
これは、イエスの教えこそが絶対正義であり、他の意見を決して受け入れず無視しなさい、ということではありません。
「わたしよりも、、、父や母を愛する者は…」と言われている通りに、8章で教えられていた優先順位のテーマがここにも響いています。
クリスチャンは家族と喧嘩をしに行くことを勧められているのではありません。
あなた自身が救われたと感じたこと、その信仰を家族によって否定されたり、取り除かれないように、イエスは予め「わたしが来たのは…剣をもたらすために来たのだ。(34節)」と、つまり「親しい人々があなたの敵になってしまっても、あなたのせいではない」と言われたのです。
あなた自身の尊厳と救いとは誰にも踏み入ってはならないものであり、イエスはあなたを守るために、そしてそれを必要とする他の誰かに喜びを持って伝えられるようにこのように言われたのです。
クリスチャンの生き方、関わり方は、「平和」を伝えるために送り出されているという原則がここにあります。
決して無理強いや信仰の強制をしたり、否定する人々を説き伏せるのがキリスト教の宣教ではありません。
たとえ受け入れなくとも、その信仰をそのままに受け止めてくれる人──「水一杯でも飲ませてくれる(42節)」人を、同じ信仰を持つ人とと同じように見なしてくださる神様の慈しみにクリスチャン自身も立って関わっていくこと。
一人一人がイエスの教えから受けた喜びを分かち合っていくこと。
それこそがイエスが幸いと言った「平和を実現する人々(5:9)」の在り方であるのです。