seelsorge

devotion and thinking.

生涯の日を正しく数えるように教えてください。知恵ある心を得ることができますように。

──詩編90:12

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 職場で、ある先生が生徒に向けてお話されている言葉が心に残りました。

先月起こった地震のことを思い起こすと、あれは私たちへのメッセージではないか、と思わずにいられない。 それは、私たちが生かされているということ、毎日様々な学びと活動ができることへの感謝が大事だというメッセージだと思う。 何事にも感謝を忘れずに過ごしてほしい。

 そのようなことを仰っていました。

 私たちはつい、いつもどおりの毎日が来るというその尊さを忘れてしまうのだと思います。
 夜に目を閉じて眠れば、明日も今日と同じような朝が来るはずだ、と思ってしまう。
でも、本当はそうではありません。
 
 一日たりとも同じ日は来ないし、私たちのいのちが、明日は失われてしまうかもしれない。
 昨日は楽しく過ごせていても、今日起きたことによって、一気に自分の人生から明かりが消えたように感じる日々に変わってしまうかもしれない。
 そして私たち自身が、そのように誰かの人生のともし火を吹き消してしまうことさえ、起こるかもしれません。

 私たちが過ごすそのような一日一日を、どれだけ大事にできているんでしょうか。
 誰かを傷つけるのではなく優しく接し、自分の気持ちを優先させるのではなく相手の気持ちに寄り添う、そんな一日を過ごせているでしょうか。
 
 この聖書の箇所は、モーセという人が祈った言葉です。
 私たちの人生というのは、生まれたときから、あと何日、と神様によって決められている。そうモーセは言います。
 それは決して脅しではありません。
 私たちの人生が、何気ない毎日が、安心できる日々が、あるいは成長できる時間が、決して永遠には続かない、数えることができるほどの時間しかない、ということなのです。

 スティーブン・コビー博士が提唱した「7つの習慣」の第二と第三の習慣には、「終わりを思い描くことから始める」こと、そして「再優先事項を優先する」ことが勧められています。
 それこそがここでモーセが言っている「知恵ある心」を得るための方法なのです。
 私たちの人生がもし、あと3年間しかなかったら、どうしますか。どんな人間になりたいですか。どんな夢を叶えますか。どんな人間として見られたいですか。
 あと1年ならどうでしょうか。一ヶ月しか余命がなかったら?──今日が、人生最後の日だとしたら?
 
 あなたは何から始めますか。
 
 きっとそれぞれ目標も、今日すべきことも、違ってくることでしょう。
 私たちがこの一日一日を、神様からのかけがえのない贈り物として数えることができるなら、今日という日がこれまでとは全く違う一日に変わるかもしれません。
 
 怒ったり、誰かを憎んだりしている時間はない、と怒りや憎しみを手放すでしょう。
 ダラダラとその場限りの楽しいことで時間を「潰す」ということがどれだけもったいないことかに気づくでしょう。
 そして、今日やりたいと強く思うことに時間をかけ、一日を充実感でいっぱいにして過ごすことを選ぶことができるようになるはずです。
 
 最も短い人生というのは、生きた時間が最も短い人生であるということではありません。
 人生が有限であることを考えもせず、何も目標を持たず、その場しのぎで過ごし、今日という日を大事に数えて過ごすことがなかった、そんな人の人生のことです。
 
 だから私たちは、祈ってみたいのです。
 「神様、私たちが生涯の日を正しく数えるように教えてください」と。
 そしてあなたの人生の中で、今日という日にしか出来ないことは何かを悟るために、知恵ある心を神様に願うことから、今日一日を始めていきましょう。