すると主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。
──コリントの信徒への手紙二 12:9
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NHKの「ザ・ウェイキー・ショウ」という子供向け番組があります。
その最後のコーナーでは、「目覚めの指令」といって、新しい気づきや発見につながるような視聴者投稿が紹介されます。
ある日の目覚めの指令は「四角いものを探してみよう」というものでした。それは、「この前四角いものを見つけたら良いことがあった」という視聴者の経験から投稿されたという話でした。
これを聞いて思うのは、私たちにはそういう傾向がある、と言うことです。
良いことを積極的に探そうと意識をして初めて、「良い」と思えることが見つかりやすくなる、という傾向です。
人は見たいものしか見ない、という言葉もありますが、そのように私たちがいつも考えていること──やりたいことや興味があることなどに意識が向けられていると、自ずとそれが見つかりやすくなるし、起こりやすくなるように感じる。
逆に悪いことばかりを考え、悪いことが起きるのではないかという不安を抱えていると、目の前の出来事も、相手からの言葉も、全部悪い方向で受け取ってしまう、ということもあるでしょう。
心理学ではこれを「確証バイアス」と言うのだそうです。
私たちは誰だって、傷つきたくないし、嫌な思いはしたくないし、敗者側、弱い側に立たされたくないという思いを抱えているものです。
それは私たちにとって「良くない」もの、と思いがちだからです。
でも一方で、私たちの人生には、そういう苦しみや、痛みや、しんどさから逃れられない時があります。
自分の思った通りには進んでいかないこともありますし、ストレスを抱えながら眠りにつき、朝など来ないでほしいと思う時もあります。
だからこそ聖書は、今日の箇所において、そのような私たちの意識を変えさせる言葉を伝えています。
自分の弱さを取り除いてほしいと祈る弟子パウロに対して、神様は「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と返していったのです。
私たちの人生は、良いか悪いかでスッパリと切り分けられるものではありません。
自分にとって都合よく進んでいることの裏側でしんどさを抱えている人がいるかもしれない。
嫌なことばかり起こるけれども、それによって学ばされることもあるかもしれない。
だからこそ神様は私たちが避けたがる「良くないこと」「弱さ」の中にも、私たちにとって必要な「良いもの」が隠されていることがある、と教えられるのです。
そうすることによって、私たちの気持ちが確証バイアスに振り回されないようにしたり、不安やしんどさによって立ち止まりそうになる私たちを、それでも新しい場所へと押し出そうとする、神様からの励ましなのかもしれません。
神様はこの世界を、極めて良いものとして造ってくださいました。それを私たちも信じたいと思います。
私たちの現実がどんなに苦しくてしんどくても、きっと「良いこと」がどこかに見つかる。
暗闇の中に差し込む光のように、あなた自身の振る舞いが誰かにとっての「良いこと」になるかもしれない。
あなたの何気ない、ささやかでやさしい一言が、誰かの心を支えるかもしれない。
私たちもそのような気持ちをもって周りの人々と関わりあいながら、今日という日を乗り越えていきたいと思います。