イエス・キリストは人となった神様だった。
それは、神様が私たちと同じ人間となって、私たちと同じこの世で生きるということの悩み苦しみを同じように引き受けてくださるためだった。
イエスは神でありながら、遠い天の彼方から語られたのではない。私たちの隣で、友となってくださるためにこの世でイエスとなられたのだった。
私たちは祈る。イエスの名を通して祈れば、必ず聞き届けられると約束してくださったからだ。
しかし同時に、私たちの中にある、祈りにならない思い、言葉にならない呻きをも神様は聞き取ってくださるとも言う。
私は思う。
イエスが私たちのためにこの世に来てくださった神様なのであれば、私たちが祈れない祈りを抱え、言葉にできない呻きに苛まれる時、きっとその祈りを、神様自らが引き受けに来てくれているのではないか。
イエスが私たちの友としてこの世に来られたのと、同じように。今も。
私たちの、心のすぐそばまで。