「イエス・キリストの教えって共産主義にすごく似てる」と言われて、頭をかしげた。

確かに共産主義は財産を中央に集めて平等に再分配する仕組みだから、初代教会のあり方に近いように見えるかもしれない。
しかし聖書をよく見ると、自分の財産をすべて捧げることは強制されていないことがわかる。

アナニアとサフィラという夫婦が自分の土地を売ったお金を捧げようとしたけれど、その金額をごまかしたことで死の罰を受けている。しかしそこでペトロはこのように言っているからだ。

「(土地を)売らないでおけば、あなたのものだったし、また、売っても、その代金は自分の思いどおりになったのではないか。どうして、こんなことをする気になったのか。あなたは人間を欺いたのではなく、神を欺いたのだ。(使徒5:4)」

財産の全てを捧げることは強制されていなかったし、個人的に他者よりも富を保持していることや全て捧げないことで罰せられることはなかったことがわかる。
むしろここでアナニアたちが裁かれているのは「相手を欺く」という罪のみに対してなのだ。

キリスト教は共産主義的な考え方ではない。
あくまで善意によるコミュニティ維持の献金を呼びかけていたにすぎない。

ところで、遠藤周作が『イエス・キリスト』という本の中で洗礼者ヨハネの教団と考えられているエッセネ派について述べる際、エッセネ派では自らの財産をすべて教団に捧げることを強制されていた、と書いていた。
むしろヨハネや一時期イエス自身も所属をしていたであろうそのエッセネ派こそが共産主義的な傾向を持っていたと言うのは間違いではなかろうし、イエス(イエスの弟子たち/キリスト教団)はむしろそこから脱出した側であったのではないかと思えてならない。