コリントの信徒への手紙一 14:19
しかし、わたしは他の人たちをも教えるために、教会では異言で一万の言葉を語るより、理性によって五つの言葉を語る方をとります。
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ここでパウロが言っている「5つの言葉」とはなんだろうか。
それはきっと、「ΙΗΣΟΥΣ(イエス)ΧΡΙΣΤΟΣ(キリスト)ΘΕΟΥ(神の)ΥΙΟΣ(子)ΣΩΤΗΡ(救い主)」の5つではないか。
パウロはコリントの教会において起こった問題に対処するためにこの手紙を書いているが、それは他者への愛の欠如と分裂だったことが垣間見える。
だからこそパウロはその分裂の根拠が人間的な考えによるものであり、キリストの教えはむしろ一致させるもの、と教える。
そしてその原動力は互いへの愛(13章)と同じ霊(神)による種々の賜物への尊重(12章)である、と続けていくのだ。
当時において異言(周りの人には分からない言葉で神に対して語る宗教体験)と預言(ほかの人にも伝わる言葉で神の言葉を語る)が分けてとらえられていることがわかる(14:4)。
おそらくコリントの教会ではこの異言を語る者の地位が高くされていたように見える。
だからパウロは「異言を語る者が自分を造り上げるのに対して、預言する者は教会を造り上げます」と言うのだろう。
教会(エクレシア)とは元々「集められたもの/集会」を表す言葉だ。
神によって集められているのにもかかわらず、その恵みを相互に喜ばず、むしろ互いに自分の賜物をもって上下関係を持ち出し優越感を得ようとする人間的な罪に陥らないようにパウロは警告をする。
そしてその断絶のひとつの原因となっている異言と預言について「5つの言葉」で語る方をとる、というところに、その断絶をひとつにする唯一の道が示されている。
つまり、「イエス・キリストは神の子、救い主」という信仰告白である。
初期キリスト教会がその頭文字を取り、「魚(イクトゥス/イクスース)」をクリスチャンの符号にしたように、神は私たちを断絶と主従の関係性にあるこの世から自由にする形であるからだ。
それを為すための中心が、神の示された愛なのだ。
愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。愛は決して滅びない。(13:4-8)