ヨハネの手紙一 1:7

しかし、神が光の中におられるように、わたしたちが光の中を歩むなら、互いに交わりを持ち、御子イエスの血によってあらゆる罪から清められます。

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ヨハネは光と闇、という言葉をよく使う。それは聖と俗、義と罪という二項対立だ。
聖書はその言葉に従うことを求める。しかしどこまで私たちはそれを成し遂げられるものだろうか。
あらゆる罪から清められるために、光の中を歩け、とキリストは言ったのではない。神がそうされたように、光の中を歩むなら、罪は清められると言ったのだ。

イエスは人々の闇の中を歩かれた。そこには罪の闇が広がっていた。悔い改めもせず、従いもせず、都合の良い奇跡や力を求めるだけの人々ばかりだった。しかしイエスは光の中を歩んだ。それはイエスの歩みそのものが光だったということだ。
その歩みに従っていく私たちにイエスは言う。

「私に従いたい者は、あなたの十字架を背負って歩きなさい(ルカ9:23)」。

私たちの行いや振る舞いはどう頑張ってもイエスのようにはいかない。
赦せない人がいる。いつも愛に満ちた関わりを出来るわけではない。
しかしそんな私たちの現実のなかでもがきながら生きる私たちを光で照らしてくださるから、私たちの歩みは「光の中を歩む」ものになる。それが、イエスが十字架の上で死ぬことによって示された神の赦しであり、愛だったのだ。

私たちの行いはなかなか変わらない。イエスのようには生きれない。
でも、落胆することはない。そんなあなたと歩くために、イエスは十字架への道を歩んでくださった。
私達が歩むべき光の道を切り開いて、「立て、行こう(マルコ14:42)」と呼びかけてくださった。
だから、そのような歩みをしよう、とイエスを心に留める時、イエスは確かに、あなたの罪を何度だって清め、何度だって誰かとの関係をやり直すための励ましを与えてくれるのだ。