ローマの信徒への手紙 12:1
自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です。
+++
私たちの人生はどのようなものだろうか。
つらくてしんどいことばかりだ、という人もいるだろうし、順風満帆、少しの大変なことはありながらも、日々のほとんどのことが安定していて、満たされている、そう思っている人もいるだろう。
でも、私たちはどちらにしても、その場所にとどまり続けることはきっとできない。
つらくてしんどいなら、そこから逃れたいと願うだろう。
安心と平穏は、いずれ退屈に感じるようになる。それは、私たちが常に変わり続ける必然性を持っているということでもある。
変わり続けることをやめられない私たちだからこそ、パウロはその道筋として「礼拝のために生きよ」と勧める。
これは時間のすべてを宗教的なものに費やせ、ということではない。私たちが何をするにしても、わたしたちがもっと良くなるために、そして私たちの周りの人々も含めた皆が、もっと良い方向に向かっていくためにできることはなにかを考え続けるということだ。
そしてその方向性は、神様だけが示してくれる。
未熟さがあっても、それを成長させる機会がいずれくる。
自分の嫌なところがあっても、それを愛することができるようになる。
神様が私たちに望む歩みとはそういうものだ。長い時間がかかるかもしれない。でも、私たちの歩む道は、真っ暗闇ではない。
きっと良い方向へと向かいたいと願う神への祈りは、私たちの歩み方を通して、きっと聞き届けられる。