マタイによる福音書 6:5
「祈るときにも、あなたがたは偽善者のようであってはならない。偽善者たちは、人に見てもらおうと、会堂や大通りの角に立って祈りたがる。はっきり言っておく。彼らは既に報いを受けている。 」
+++
2000年前、イエス・キリストの目の前には、神へ心を向けた切実な祈りとしてでなく、自らの地位と敬虔さを周りの人々にアピール・パフォーマンスするために、わざと人目につくところで仰々しく祈る人々がいた。
イエスはその人々の心が祈っている神にではなく、むしろ周りの人々への見栄へと向かっている時点で「偽善」であると言う。
このような偽善を生み出す罪は、何千年の時を経ても変わることがない。
良い行いを自分の見栄や利益のためにする偽善は世界の始まりから人間に受け継がれてきた罪であり、その罪をもう何千年も前から鋭く指摘している書がある。
だからこそ私たちはその罪に陥らないように気をつけねばならないし、意図せず、振り返ってそのような自分に気づいたときには、それを悔い改めるべきなのである。
神様がすべての罪を赦される、ということを私たちにとっての救いとして定められたその根幹には、私たちの罪への自覚がある。その自覚なしに救いにたどり着くことは出来ず、そうでなければ永遠に自分で自分を滅びへと追いやってしまうと聖書は言う。
昨今の日本の有様を見るとそのようなことをよく思い起こす。そしてだからこそそれは、反面教師として自分自身にも問いかけられている。
「だから、あなたが祈るときは、奥まった自分の部屋に入って戸を閉め、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる。(マタイ6:6)」