神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。神は彼らを祝福して言われた。「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ。(創世記1:27-28)」
天地創造の物語の中で、神様に造られた人間は「産めよ、増えよ、…すべて支配せよ。(創1:28)」と言われているけれど、この支配という言葉は「世界をあなたの好きにしていいよ」という意味ではない。
創世記2:4以降に再び語られ始める第二の天地創造物語の中で、神様は人に「助ける者」を造るために様々な動物を創り出すけれど、人間は動物たちに「名前」を付けていく。
主なる神は、野のあらゆる獣、空のあらゆる鳥を土で形づくり、人のところへ持って来て、人がそれぞれをどう呼ぶか見ておられた。人が呼ぶと、それはすべて、生き物の名となった。(創2:19)
新しく生まれた存在に名前を付けるという行為は、どのような思いが込められた行為なのだろうか。
私たちがこれから同じ世界で生きていく相手に対して、一生背負っていく名前を付けていく、ということ。それは、「その存在を認知し、愛情をもって関わる」ことの顕れであると思う。
だから神様が人間に望んだ「支配」とは、そのような愛ある関わりが前提となっている。
そのようなこの世界の始まりの物語は、私たちに問いかける。
私たちは、世界そのものに対して、あるいはそこに生きる隣人に対して、本当にそういう愛に満ちた関わりができているんだろうか?