イエス・キリストが伝えたかったことって、政治的な権力や支配を打ち倒してわずかな期間の平和をもぎ取ることがあなたたちの救いだ、とは決して言わなかったんだよね。
だっていつの時代も支配者は悪を持って蔓延るに違いないし、それを打倒してもいっときの平和しか与えられない、人は誰しもそれだけ深い罪を抱えているから。
だから真の平和というものは、揺るがぬ絶対的他者である神様によって一人ひとりが尊重され、愛されているという希望を手放さないこと、そして目の前に苦しむ隣人に手を差し伸べることによってその関係性の中に与えられるものだ、という救いを伝えに来た人であったのだと思う。
政治について物申すことが無駄だと言いたいわけではない。悪に対して「そういうものだから放っておけ」とはイエスも言わなかった。
当時人々をその共同体から引き離す悪霊をイエスは追い払って人々を共同体へと回復させていったし、当時の社会的権威でもあった律法学者には厳しく悔い改めを述べた。
律法学者やファリサイ派の長が所属していた最高法院は、今で言う国会と裁判所と宮内庁を一つにしたようなものだ。
イエスがそうしたように、わたしたちは現実的な政治的圧力には声を上げ続けなければならない。
その一方で、私たちの目の前にある人との関わりのうちに、国や政治がどれだけ混乱しようとも揺るがない平和を保たねばならない。
マザー・テレサも、世界平和のために出来ることはと聞かれて「家に帰って、家族を愛しなさい」と説いたように、本当の平和というものは、一人ひとりが最も近くにいる人に心から寄り添い、何があっても愛し、意見を違えてもそれを尊重するということから始まる。
しかしそれを本気でやろうとするとたった一人の愛する人に対してさえ難しいと感じる。
自分の利益、自分の感情、自分の平安を優先し、他者に重荷を背負わせることのなんと容易なことか。 そこに私たちの向かい合うべき罪がある。
そして、その一番薄暗い罪の深みに、悔い改めを呼びかけるイエスがいる。
目の前の人を大事にしよう。
丁寧に、慈愛に満ちて、誰かと共に生きていこう。