kyrie.

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書くことの幸せ

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数日前にも書いた気がするが、毎日の書き散らしを始めて1週間以上が経ち、今日も今日とて何を書こうかなということで、今日は日記にすることにした。
wordpressから提供されるお題が「聞かれたくない質問は何ですか ?」とか「ミドルネームの意味は?」みたいな、答えても個人的には楽しくなさそうな質問だったし、一応トライはしてみたもののあんまり好きな文章にならなかったというのも理由の一つだ。

毎日何千字かの書き散らしを続けていると、「書く体力」みたいなのがついてくる気がする。
キーボードで文字を打つということへの抵抗感というかハードルがめちゃくちゃ下がる気がする。
実際これまでは何かしら書き始める(仕事の文章でもそうだ)までがすごく時間がかかっていたので、仕事にもいい影響が出ている気がしないでもない。
それに、この毎日書き散らしをするということで一番良かったことは、「書くことの幸せ」が得られたことだ。

僕は自分で何かを表現すること、考えていることを言葉にすることには、心地よさを感じる(それを読んだ人の反応を特に考えずに書けるのであれば特にそうだ)。
多分これは個人差があることだろうし、たまたま自分には合っていたことかもしれない。ずっとこういうことがしたかったんだよな、という気持ちを今は感じている。
別に誰かに役に立つような文章を書かなくてもいい、という場所が確保されたことも大きい。
でも、インターネットをよく使い始めた頃に、チラ裏にでも書いてろよ、みたいな声を聞いて(自分が言われたわけではないけれど、同じように何となしな日記を綴るブログに向けられた声だった)、どこかで自分は「意味のない自分のための文章なんて、他人に見せても意味がないんだからインターネット上に書いてもなあ」と思っていた部分があったのかもしれない。
書き捨てのように投稿できるかつてのTwitterのようなマイクロブログであるならまだしも、だ。

でも、チラ裏に書くのと、自分のブログに書くのとでは全然違う。
チラ裏はそれこそ書き捨てだ。書いた文章は誰にも読まれずに捨てられていく。
でも、自分のブログを持つ、ということは、それがたとえ自分以外の誰にも読まれなくても、その場所を自分の理想に近い形で創り上げ、そこに書き込むという行為自体に、意味があるのだ。
それが、「書くことの幸せ」の土台になっている。

書きたいという欲を満たすために、書ける場所を整える。それは、新しい絵をかくときにはキャンバスを真っ白に塗り直すように(あるいは新しいキャンバスを用意するように)、その下準備が、どれだけ楽しく絵を描けるのかを決める。
文字を書くことだって、同じだと思うのだ。
別の言い方をすると、書くためのモチベーションが全然違ってくる。

多分これは、インターネット上でなくてもできることかもしれない。
お気に入りの日記帳とペンでも出来ることだろう。もちろん、そうやってアナログな場所に書き残していくということも素敵なことだけど、今の僕はキーボードと色んな端末から編集できる便利さをその道具とするのが、一番書きやすいと感じている。
それに、もしこんな誰に見せる文章でもなかったとしても、誰かが読んでくれたり、自分も書いてみたかったんだよな、みたいな人が出てきたりすると、なんだかすごくうれしくなる。

ただ、特に今は毎日忙しい。引っ越し前だということもあって、日中はてんやわんやしている。
荷造りがなかなか進まないので(仕事もあるし)、本当に引っ越しできるんだろうかとかなり不安になっている。多分妻がこのブログを見つけたら、「時間もないのにそんなことをやって!」と怒るかもしれない。
でも、今のところ僕はこうして文章を書くことが、自分にとって大事な時間になっている。
時間を取って自分の中の考えを記していくことによって、自分の考えや自分の中にいろいろと渦巻いているものが整理されていく気がする。
おぼろげに転がっているものを組み立てて、何か形のあるものにする。
その作業が、きっとこの書き散らしというものなのだと思う。

ただ自分のために書くこと。書きたいと思うことを思うがままに書き散らすこと。
それが自分にとっての幸せの一つだということに気付けただけでも、この書き散らしを続けた甲斐があったと思う。

4月からは教会を離れて違う働きに移ることになる。
これまでは日曜日に一回でよかった聖書のメッセージが、平日に毎日短いメッセージを作らなきゃいけなくなる。他にもキリスト教を知らない子どもたちにキリスト教をかみ砕いて話す立場になる。
まあ、そもそもこのブログを立ち上げて書き散らしを始めたのも、毎日何千字かの聖書メッセージを書くというタスクに耐えられるように、という目的もあったことを今思い出した。

noteで毎日書く習慣をつける、連続更新を目指す、みたいなのにチャレンジしている人がたくさんいるけれども、挫折している人もたくさん見かける。
それが義務ではなく楽しいという気持ちで続いてほしいなと思いながら眺めている。
少なくとも僕にとっては、noteではなく自分のブログで、気兼ねなく書けるというほうが合っていたというだけなのだろう。
キリスト教や聖書のことについても気にせず書けるというのも大きい。練習がてら、短いメッセージを書く練習をこれからでも始めておいてもいいかもしれない。
出来そうなら来週くらいからやってみよう。

今日はこのへんで。