ネガティブな感情を抱えるときに最も厄介なのは、それが自分ではなかなか取り除けないこと、そして堂々巡りをしながら徐々に沈んで浮き上がってこれなくなる思考にはまり込むことだ。
そんな状態の自分を魔法のようにポジティブに変える魔法などありはしない。
たとえ滅多に食べられない大好きなお菓子をサプライズでプレゼントされて一時的にそれから目を逸らせたとしても、食べ終わってしまえば、またその気持ちは「休憩は終わり? じゃあそろそろ帰ってきますね」と一時休憩から戻ってくるだけだ。
だから、ネガティブな感情を抱えるとき、初めからマイナスをプラスに変えることを望んではいけない。そうやって失敗をすることでますますマイナスを抱えることになる。
だから、ネガティブに対処するための最初のステップは、マイナスをゼロに戻すこと。ネガティブを積み重ねて深く掘り進めることを一旦止めて、静かな心を取り戻すことだ。
様々な方法がある。人によって適したやり方は様々だ。
牧師がこういうことを言うのは驚くかもしれないが、こういう時に言葉を尽くして神様に祈る、ということはしないほうがいい。
なぜなら往々にしてそう言う時の祈りは、神との対話ではなく、独り言になってしまうからだ。
だから、こういう時には、自分以外の言葉を大量に摂取するのをお勧めする。
本でも音楽でも誰かから話を聞くのでもいい。
大事なことは、ネガティブから抜け出したくてポジティブな言葉ばかりを選ばないこと。そうすると余計にネガティブな感情が浮き上がってしまう。同じように悩み、苦しんだ人の言葉を受け取るほうがいい。
幸いにも、聖書の中には山ほど苦しみ悩む人の声があふれている。特に詩編がお勧めだ。
そしてもう一つ大事なことは、対話しないことだ。
もし、自分から言葉を吐き出してスッキリできる程度のネガティブな気持ちだったらそちらのほうが有効だ。しかし、自分ではどうしようもできないネガティブなスパイラルに落ちている時には、どんな話題もネガティブな自分の状況に巻き込んで取り込んでしまう。
自分には関係のない場所で生きている人の、なんでもない言葉を大量に聞き流して、自分の中に渦巻く言葉から少し距離を置ければ、それが一番いい。
しばらく他の人の「言葉」に夢中になっていると、これまでずっとマイナス方向にばかり掘り進めていた心が、その動きをやめていることに気付くと思う。
そこで初めて、祈ることが意味を持つ状態になる。
無理に祈りの言葉を紡がなくていい。
むしろ静かに、何も考えないように静かな時間を保つようにする。
リラックスした態勢で、座っても横になっていてもいい。手を合わせても、軽く膝の上に置いてもいい。自分が体の感覚を意識しなくていいような姿勢を取ることが大事だ。
自分の心からノイズのような激しいネガティブな感情があふれ出てこなければ、あなたはマイナスからゼロに戻ってくることが出来ている。
ネガティブな感情に向き合うことが出来るためには、ここまで戻ってこなければならない。
向き合うということは、自分を少しだけ遠くから見て、客観的に見ることなしには出来ないことだ。
自分をもう一人の自分から見て、何が原因なのか、それは取り除けるのか、取り除けないなら受け流すか、それとも離れることが出来るのか。ここで初めて、祈ることも、誰かに相談することも、意味のあるものになる。そうやって少しずつ、ゼロからプラスへと、自分を取り戻していけるステップに踏み出せる。
だから、自分がネガティブな感情に襲われてどうしようもなくなった時には、まずはマイナスをゼロに戻すということだけを考えよう。
静かな心を取り戻すために、自分の言葉を塗りつぶす、あなたにとって必要な言葉を探し求めよう。
そうしてあなたの手を取って引き上げてくれる言葉に出会う時、それはこれからもあなたを支える言葉になるだろう。