主はこう言われる。海の中に道を通し、恐るべき水の中に通路を開かれた方。──イザヤ書43:16
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敵国による捕囚政策によって散り散りにされてしまったイスラエルの人々に、預言者イザヤは慰めの預言を語っている。
このような神様だからこそ、わたしたちが日々の中で否応なく応ければならない予想外の歩みにおいても、神は同じようにしてくださる。
年度末、新しい仕事に向けて意気揚々となっている人もいれば、憂鬱になっている人もいるかもしれない。
なぜこんな事が起きるのか、なぜこんな道を歩まねばならないのか。
そう言いたくなるような、私たちの思い通りにはいかない様々なことが人生には起きることを私たちはよく知っているからだ。。
これから進んでいく場所が、自分が望んだ場所ではないように感じながら進まねばならないこともあるだろう。
しかし、そのような道でさえも神様が切り開き、私達に与えられた道であることを信じたいのだ。
わたしたちが自ら望まず、選ぼうとしなかった道に否が応でも押し出されるとき、それは海の中を歩けと言われるようなものだ。ただそのままに入っていけば溺れてしまうかもしれない。
しかしそこに、神は道を作ってくださる。
モーセが祈り、神が海を割って道を造られたとおり。エジプトからの追手という私たちを傷つけるものすべてを飲み込み、私たちから遠ざけてくださるために。
私達の歩みはそのように信じてなお、苦しい道に見えるだろう。苦しいと感じながら、つらいと叫び祈りながらの歩みになるだろう。
しかしその道はきっと、振り返るほどに歩んだ先の未来から見れば、神様が切り開いてくださった道になる。
その時、神様が私達の思いもよらない御心のうちに導いてくださっていたことがわかるだろう。
そう信じて今日を踏み出していくことが、苦難だと思う状況と日々の中に踏み出さねばならない私達を支えてくれる、神からの声なのだ。