しかし、弁護者、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる。わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。心を騒がせるな。おびえるな。
──ヨハネによる福音書 14:26-27
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キリスト教会には、祝祭日と言ってお祝いをする特別な日曜日が年に3回あります。キリスト教の三つのお祝いの日。クリスマス、イースター、最後の一つは何でしょうか。
実は今日が、その3つ目の祝祭日を教会でお祝いした日でした。
聖霊降臨祭(ペンテコステ)という日です。
イエス・キリストはある晩、弟子たちに告げられました。
「私はこれから十字架にかかって死んでしまうけれども、決してあなた方を一人にはしない、なぜなら自分の代わりに「聖霊」という別の存在をあなたたちのもとに送るからだ」と言うのです。
聖霊とは、端的に言えば「神様の霊」、目に見えないけれども、人の心を動かす神様の力のことです。
この聖霊がのちに弟子たちのもとに届けられたことで、イエスの代わりに今度は弟子たちが、イエス・キリストの教えを人々に伝えていきました。その出来事をペンテコステと言って、キリスト教会の誕生日として今も祝われているのです。
実はこの聖霊が、私たちが今日聖書を読む時、一番大事なものなのです。
なぜなら先ほどお読みした聖書箇所にもあるように、聖霊は「すべてのことを教え、イエスが話したことをことごとく思い起こさせてくださる。」ものだからです。
この聖書の言葉は、私たちから見れば2000年以上も前に生きた人々が聞き、書いたものです。その人々は、今の私たちとは、住んでいる場所も時間も遠く離れた、価値観も文化も違う人々の言葉のはずです。
それでも、不思議なことに、時間も場所も超えて、文化も価値観も超えて、今ここに生きる私たちにとっても「いい言葉だな」と感じることが起こる。
聖書の言葉が、あなたを時に励まし、支え、時には叱るように、時には優しく包み込むように慰めることがある。
そういう言葉として私たちの心に聖書の言葉が飛び込んでくるとき、そこには目に見えない神様の力──聖霊の力が、私たちのうちに働いている、とイエスは言うのです。
この時の弟子たちのように、私たちも、心の支えを失い、明日からいったいどうやって過ごしていけばいいのかわからなくなっていまうことがあるかもしれません。しかしそのような弟子たちに、そして私たちに、イエスは聖霊を送ると約束してくださったのです。
何があってもあなたは大丈夫、心配ないよ。聖霊という神様の力が、いつもあなたを支えているから。
神様はそのように、私たちに約束してくださっています。この聖書の言葉を頼りにして、私たちのうちに働く神様の力に支えられていることを、いつも心に留めておいてほしいと思います。