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理屈ではありません、愛情です


わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。

──ヨハネによる福音書15:12

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東京の神保町に、大正時代から続く「ビールが飲める洋食屋」があります。その洋食屋さんでは面白いルールがあって、それは創業当時から、ビールは店長しか注いではいけない、というルールなのだそうです。
特に二代目店長であった鈴木信三さんが注いでくださるそのビールが、ほかの店で飲むのとでは全然違う、すごくおいしい、という評判で、ファンも多かったと聞きます。「なぜ、ここで飲むとおいしいのか?」とインタビューされると、鈴木さんは決まって口癖のように「理屈ではありません、愛情です」と返しておられたとのことです。

キリスト教の中心には何があるのか、ということを一文字で表すと、それは「愛」である、と言えると思います。事実、「神は愛です」という聖句もあるように、イエス・キリスト自身、神様が愛に溢れたお方であるということを証した人でありました。そして、私たちにもまたそのように愛し合うように、と教えているからです。

この聖書が教える愛という言葉は、1600年ごろ、宣教師たちが初めて聖書を日本語に訳した時には別の訳が当てられていました。というのも、当時の日本で愛と言う言葉は、「男性が女性をかわいがること、もてあそぶこと」という意味でつかわれることが多い言葉でした。ですから宣教師たちは聖書のメッセージが誤解されることを避けて、「お大切」と訳したのだそうです。

キリストは十字架にかかって死ぬ前に、弟子たちに新しい掟、従うべき唯一の教えを告げていきました。それが、「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。」という掟でした。そしてこの言葉の愛を「大切」に置き換えてみると、その意味がよくわかるのではないかなと思います。「神様があなたがたを大切にしてくださっているように、あなたがたもお互いを大切にしなさい」と言い換えることもできるのです。

とある洋食店の店主は言いました。「理屈ではありません、愛情です。」この言葉における愛情も、この聖書の言う「お大切」に通ずるものがあるのだと思います。
お店にやってくるお客を、ただお金を落とすだけの相手として見るのではなくて、家族のように大切に思う。料理と飲み物のおいしさに、相手への気持ちがにじみ出ている。だから、ただ単においしいというだけではない、大正時代からファンになる人が途切れないほど、人の心を満たすものがそこにあるのだと思います。

イエスが出会った人々は皆、他の人より秀でた何かを持っていたわけではありません。周りの人々からお金を巻き上げる徴税人たちや罪びとたち、病のために社会から廃絶された弱者たち、悪霊にとりつかれた人々、そしてイエスを殺そうとした律法学者たちでさえ、イエスは見捨てませんでした。
あなたはありのままで、神様に大切にされている存在なのだと伝えていったのです。それは理屈ではありません、全き神様の愛でした。そしてその愛は、今日聖書の言葉を聞く一人一人に届けられているのです。

「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。」

私たちもまた、この聖書の言葉に立っていきたいのです。理屈ではない、愛情をもって、どのような私たちであっても大切にしてくださる神様がいる。だから私たちも、今日一日だけでもいい、関わりあう相手を大切に思う、そんな一日を過ごしていきたいと思います。