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助けを求めることは恥ずかしいことじゃない


イエスは、「何をしてほしいのか」と言われた。盲人は、「先生、目が見えるようになりたいのです」と言った。そこで、イエスは言われた。「行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」盲人は、すぐ見えるようになり、なお道を進まれるイエスに従った。

──マルコによる福音書10:51-52

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iPhoneを発明した故スティーブ・ジョブズが語った言葉の中に、「何かを成し遂げる人」と「夢見る人」を分けるたった一つの習慣について語っていたことがあります。
「何かを成し遂げる人」と「夢見る人」を分けるたった一つの習慣。それは何かというと、「人に助けを求める」ということです。

実は、iPhoneの制作秘話の中にも、人に助けを求めたエピソードが存在します。
初代iPhoneの試作品のディスプレイは、コーティングされたプラスチック製だったそうです。でも、一日ポケットに入れていただけでその画面は傷だらけになってしまったそうです。

そこでジョブズはどうしたかというと、ガラス専門の会社であるコーニング社の社長に電話をかけ、必要なガラスについて詳細に説明をして、助けを求めたのです。
結果として、その会社が開発したものの一度も生産には至らなかった強化ガラスを、iPhoneに使わせてもらうことになったのです。
ジョブズは、当時のApple社が持っていた莫大な資産を使って、自力でこのディスプレイの問題を解決する術も持っていたはずでした。しかし、敢えて彼は人を頼ったのです。

人に助けを求める、ということは、私たちにとって恥ずかしく感じることがあるかもしれません。
自分が弱くなったり、劣っているように見られると感じるかもしれません。何でも自分で出来ることが一番いいことだと思うこともあるでしょう。
でも、実は、正しい方法で助けを求めるなら、誰もあなたのことを悪く言うことはないのです。それどころか、助けを求められたことで、その相手は、あなたから暗に「信頼されている」と感じることさえあるのです。

今日の聖書箇所の中で、生まれつき目の見えない人に対してイエスが「何をしてほしいのか」と問いかけています。その言葉に答える形で、盲目の人はイエスに向かって「目が見えるようになりたい」と願い出たことから、イエスはその人の目を癒し、その人はイエスに従う弟子のひとりとなった、という物語です。

ここでイエスは、聞かなくてもわかるはずの「何をしてほしいのか」という問いかけを投げかけています。それは、彼にとって必要な助けを、言葉にすることの大事さをイエスがわかっていたからでした。
そしてこの問いかけは、この物語を読む私たちにも同じように響いてくるのだと思います。

あなたは今一番、どのような自分になりたいと思っているでしょうか。
そしてそれを成し遂げるために必要な助けとは、どのようなものでしょうか。

あなたにとって必要なことがあるように、誰かにとって必要なことをあなたが提供できることもあるかもしれません。
そうやってお互いに支えあい、手を差し伸べ助け合う時、そこには深い絆と関わりとが生まれるのです。
そしてそれこそが、これから歩んでいく人生を大きく変化させてくれる、よい習慣の一つになるのです。