これは日記なので何のソースも根拠もない個人的な感想なんだけど、僕はPS5 proが発表されて驚いていた。
約12万円という本体価格に対してではない。
物理ディスクを入れることができないデジタルエディションがスタンダード版として出され、物理ディスクドライブは外付けで対応する、という形を取ったということだった。
PS5の時には、物理ディスクの読み込み口の有無にかかわらず、どちらも選べる形で発売されていた。
でも、今回はデジタルエディションが基本となって、物理ディスクドライブがあくまで「後付のアタッチメント」にされた、というところにメッセージを感じている。
消費者側からすれば、物理ディスク──パッケージ版のゲームの利点は「貸せる」「プレイに飽きたら売れる」という2点があるだろう。
他にも色々と理由は挙げられるだろうけれど、この2点を売る側から見るとデメリットの方が大きい。
つまり、他の人に貸されると、借りてプレイしたプレイヤーが自分用に買うかは怪しいところだし、それで満足してしまえば購入機会を逸してしまう。
中古市場に売られると、安価に手に入れられることを優先するユーザーはそちらを買ってしまって、こちらも新品の購入機会が失われてしまう。
対してデジタルエディション、つまりゲームがデジタル販売のみになる場合は、アカウントに紐付けられたゲームのデータとして販売される。
値下がりするのは意図的に売る側のセール時のみで、単価が売る側の都合以外では下がらない。
他者にプレイを勧める時にはその人にも買ってもらうことが基本的な前提になる。アカウントを友人同士で共有することはほとんど無いだろう。
こういうことを考えると、デジタル販売のみに対応するデジタルエディションのPS5が基本形として売られ始めたということには、「ゲームは新品で販売元から買ってくれ」という無言の叫びが聞こえてくるように思うのだ。
ゲーム機をハックして海賊版romをダウンロードして無料で違法にプレイする、という方法がある。それがあらゆるゲーム機に対して行われる現代にあって、ゲーム業界はすさまじいダメージを受け続けていると思う。
また、違法でないとはいえ中古市場によってリサイクルされるゲームが、長期的に売れるはずだったパイを奪ってしまっていることもあるかもしれない。
しかし、僕がそうだったように、かつてのスーパファミコンのカセットを貸し借りすることで友人関係が健やかに豊かに保たれていた世代からすれば、物理的なゲームソフトがなくなってしまう(あるいはスタンダードなものではなくなってしまう)流れがあるとしたら、それは少しさびしいと感じるのだ。
物理的な貸し借りをすることに付随するフェイス・トゥ・フェイスのやり取りには、ネット上のやり取りにはない何かがある、という感覚は多分もう時代に取り残されつつあるノスタルジーなのかもしれない。
それでも僕らの後の世代──デジタルネイティブな世代の子どもたちがどのような感覚を持っているかはわからないけれど、それでもきっとまだしばらくの間は、デジタルの仮想世界が現実を互換し追い抜くことはしないだろう。
だからもうしばらくの間は、ノスタルジーからくるささやかな抵抗も兼ねて、手に取り手渡せるパッケージ版のゲームを買い続けようと思うのだ。