しかしあなたたちは、その所からあなたの神、主を尋ね求めねばならない。心を尽くし、魂を尽くして求めるならば、あなたは神に出会うであろう。
──申命記 4:29
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所ジョージをMCにして、各地の名産品などをレポートする番組を見ました。そのなかで「ブリリアントシャインマスカット」が紹介されていました。なんとひと房1万5千円、形も甘さも厳しく審査された上で販売される、幻のシャインマスカットなんだそうです。
それをスタジオの芸人さんたちと一緒に所ジョージが食べるわけですが、ある芸人さんがこう言うわけですね。
「シャインマスカットってスーパーで2千円くらい出せばおいしいものが買えるけど、1万5千円はさすがに躊躇いますね」と。
ところがそこで、所ジョージはいやいや、と反論するのです。
「もしこの先10年間、その2千円くらいのシャインマスカットを食べ続けたとするでしょ? それで合計2万円払うことになるわけだけど、その10年分の思い出よりも、このたったひと房だけど、1万5千円のブリリアントシャインマスカットの方が、絶対濃い思い出になるよ。」と言っていました。
なるほどな、そういう考え方って、いろんなところで言えるものだな、と感心しながら聞いていました。
私たちの努力も、費やすべき時間も、何事にも”ここだ”というタイミングがあります。
日々の小さな幸せを見つけることも大事ですが、ここだという決定的な瞬間が、人生の中には必ず何度か訪れるものです。
その時、私たちは目先のことに囚われることなく、5年、10年、いやもっと先の未来にいる自分を見据えて、大胆な選択をしていくことができたら、私たちの人生はもっと豊かになる。そのことを教えてくれるやり取りではないかなと思うのです。
そしてこのことは、人との出会いにおいても同じことだと思います。
教育者であり、また哲学者でもある森信三さんは、このように言いました。
「人間は一生のうち逢うべき人に必ず会える。しかも、一瞬早すぎず、一瞬遅すぎないときに。しかし、うちに求める心なくば、眼前にその人ありといえども、縁は生じず。」
私たちが人生の中で、この人との出会いがなければ、自分は今、ここにはいなかった、という出会いの機会が与えられることがあります。それは生涯を添い遂げるパートナーかもしれないし、自分の人生を180度変えてしまうような、恩師の先生かもしれない。
でも、森信三さんは言うのです。ただ待っていればそういう出会いが与えられるわけではない。私たちにも、求める心がなければ、もしそういう素晴らしい人と出会うことがあっても、縁が生じることのないまま終わってしまうというのです。
私たちにとっての聖書の言葉も、きっとその一つかもしれません。
しんどい時には励まされたり、つらい時には力づけてくれたり、うれしい時にはその喜びを神様が分かち合ってくれる。そんな生きた神様と出会うための言葉が、聖書の言葉だからです。
きっと私たちにも「神様はわたしのために語ってくださっている」と感じるような聖書の言葉が見つかるときがあるはずです。
そのような言葉をあなたにも語りたい、と神さまが願っておられるからこそ、2000年の時を超えて、聖書の言葉は今も読まれ続けているのです。
あなたがその時を逃さないように、1日に一度は心を落ち着かせ、聖書の言葉に耳を傾ける時間を作ってみてはいかがでしょうか。
「心を尽くし、魂を尽くして求めるならば、あなたは神に出会うであろう。」