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もう一歩だけ、頑張ってみよう


シモンは、「先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」と答えた。そして、漁師たちがそのとおりにすると、おびただしい魚がかかり、網が破れそうになった。

――ルカによる福音書 5章5-6節

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大学時代、漫画研究会に所属していたことがあります。でも練習しても練習しても、絵があんまりうまくならなかったので、落ち込んでいたことがありました。
すると、漫画研究会の中でもすごく絵も物語も魅力的な先輩から、自分も初めはそうだったよ、と励まされました。
そして、続けて語ってくれた言葉が今でも心に残っています。
「何でもそうだと思うけれど、技術というのは、折れ線グラフのように、努力や練習をすれば、絶え間なく少しずつ上達が感じられるわけではない。実は上達とは、折れ線ではなくて、階段を横から見た時みたいな形で、上がるときには一気にうまくなって、その次にうまくなるまで、全然自分が上達していないように感じるものなんだ」と言っておられました。
だからこそ、いくら練習を重ねても上達が感じられなくなった時こそ、次の一段を登れるまではあきらめないことが大事だ、ということを教えられたのです。
これは絵の話だけではなく、勉強やスポーツ、様々な事においても同じように言えると思います。

イエスの弟子であったペトロは、ガリラヤ湖で魚を捕る仕事をしていた漁師でした。
今日の聖書箇所では、イエスとシモン・ペトロが初めて会ったときの場面が読まれています。
イエスはペトロに、漁をしなさいと命じます。
しかしペトロはすでに、その前の日の夜中から徹夜で漁をしていたというのです。
漁をするプロであるペトロ達が努力しても、一匹も魚を捕ることができなかったのですから、今さらとれるはずがないだろうとペトロ達は疑っていたことでしょう。ペトロ達はしぶしぶイエスの言葉に従って、もう一度だけ網を打つのです。
すると、思いもかけずたくさんの魚が網にかかるという不思議な出来事が起きる、という話です。

私たちも、たくさん努力して、それでも何にも成果が得られなくて、疲れだけが残るようなことがあるかもしれません。
「もう無理だ、これ以上頑張ったって無駄だよ」とあきらめの気持ちで心がいっぱいになることもあるでしょう。
でも、そこで神様は「もう少しだけがんばってごらん」と背中を押してくれるのです。
もう一歩、もう一回頑張れば、それは報われるかもしれない。しかも自分が望んでいた以上のものが返ってくるかもしれない。
神様はちゃんとあなたの頑張りを見ているんだよ、ということを教えてくれるエピソードであると思います。

だからこそ、この出来事の後、ペトロは漁師から、イエスの弟子となっていきました。
自分を支えてくれる人、自分の力を信じ、励まし、その背中を押してくれる、そんな人がもし私たちにも見つかるとしたら、きっとその人は、神様があなたのために出会わせてくれた人かもしれません。
そしてそれは人に限らず、この聖書の言葉――神様の言葉もまた、あなたの心を支えるために、語られたものなのです。

ペトロはイエスの弟子としてイエスに支えられ、そしてついには、カトリック教会の初代教皇という、大きな働きを担っていった人でした。
支えられ、励まされた人が、次は周りのすべての人を励まし、支える人になっていったのです。
そのように私たちも聖書の言葉に支えられながら、また誰かと支えあって生きていくことができるように、聖書の言葉をいつもそばに置いておきたいと思います。