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かつて私は小説を書きたかった

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小説が書きたい。
そう思ったのはいつの頃だったか、はっきりとは思い出せない。
でも、初めて書いた自創作は、ドラゴンボールと魔女の宅急便を足して5くらいで割ったみたいな、短い物語だったことは覚えている。ちゃんと400字詰めの原稿用紙に、当時のあこがれだった父の万年筆をこっそり借りて書いたのだ。
確か原稿用紙4枚くらいの短い話(でも自分としては大長編を書いたつもりだった)で、熱を入れて書いたものだから万年筆の先は折れ曲がり、見つかって怒られたところまでがセットだったと思う。

小説が書きたい、という気持ちは今でもある。
でも、年を経るにつれて、だんだんとそのハードルが上がってきたようにも感じることがある。
それはちっぽけなプライドみたいなもので、「大人になったのだから、書くんならちゃんとしたものを書かなければ」という気持ちが邪魔をしてしまうのだと思う。

でも、きっと創作というものはもっと年齢や性別やジャンルやその他もろもろのあらゆる評価からは本来自由であるべきで、そうはわかっていても、でもね、という気持ちとの狭間でウロウロとしてしまう。
その間に時間だけが過ぎ、結局残ったのは若気の至りみたいないくつかの話だけになっている。
それでも、いつか小説を書きたい、という気持ちが今もずっとくすぶり続けていて、それを別の形で消化するために、こうしてあてもない文章を書いているのかもしれない。

SNSを見ていて、この令和に個人サイトを持っている人は自分のサイトを紹介しよう、という小さなムーブメントが起きた。
そのタグを覗いてみると意外と多くの人が個人の城を持っていて、何十年もそれを維持し続けている人もいて、なんだかそれに不思議と慰められた気持ちになった。

それは、時折自分の中で響いてくる、「こんなしょうもない文章を書いていても何の足しにもならないだろ」という言葉にささやかな反抗をして、ぽつぽつとブログに思ったことを今なお書き散らしている自分が、どこかでゆるされたような気がしたからかもしれない。

ずっと、小説が書きたかった。

素晴らしい名作にならなくたっていいよ。
誰かにほめられるようなものでなくていいよ。
表現と論理の整った、美しいものでなくてもいいよ。
誰の目も気にせずに書けるような年齢じゃないって思わなくていいよ。

そうやって自分を少しずつゆるしていきたい。

こうして何かを書くことは、きっと何歳になったって、自由だ。