御父がどれほどわたしたちを愛してくださるか、考えなさい。
それは、わたしたちが神の子と呼ばれるほどで、事実また、そのとおりです。
──ヨハネの手紙 一 3章1節
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小さい頃、「あなたはいい子ね」と言われることが多くありました。
親や親戚からも、教会にいるときも、学校でもよく言われていました。
しかしあるときから、それがいつの間にか自分にとってつらいことに感じるようになりました。
いい子、いい子と周りから言われ続けて大きくなると、どこに行っても周りから「あなたはいい子」であることを求められているような気持ちがしたからです。
自分がいい子と言われなくなることが怖くて、でも苦しくて、体調不良が治らなくなりました。
それでも、どうしてこんな症状が出るのだろうと病院に連れて行ってくれた親に、「自分はいい子でいることが苦痛なんだ」とは言えませんでした。
いい子でいつづけた結果、いい子でありたくないと思っても、いい子でない自分がどうあればいいのか、自分が本当に何をしたいのか、何にもわからなくなってしまったからです。
でも大学で親元を離れて一人暮らしを始め、それと同時に体調不良が治ると、親もさすがに気付いたようでした。いい子でありなさいというプレッシャーを与えすぎたことを反省し、謝ってくれました。
そこで、あの苦しかった時の自分は、一体何を求めていたんだろうか、ということを改めて振り返ることになりました。
その時にたまたま出会った聖書の言葉が、今日の言葉でした。
「御父がどれほどわたしたちを愛してくださるか、考えなさい。それは、わたしたちが神の子と呼ばれるほどで、事実また、そのとおりです。」
私たち一人一人は誰であっても、神様の子どもとされている。そう聖書は教えます。
親である神様の愛は、イエスという自分の実の息子の命を引き換えにしてでも私たちを助けたいという愛なのです。
でもそれは、私たちが「いい子」であるから注がれる愛ではありません。
ありのままの、はねっかえりで、神様の教える通りには全然生きられない、そんな私たちを、それでも愛する神様なのです。
この聖書の言葉に出会って、あの苦しかった時の自分が求めていたことはこれだと思いました。
私はいい子でない別の自分になりたかったわけじゃない。
もしあなたがいい子でいなくてもいいんだよ。あなたは私の子どもなんだから、愛していることは変わらないんだよと、私を温かく抱きしめて、言葉で伝えてほしかったんだと思います。
いい子でいなければ、誰からも愛されないと思ってはいませんか。
自分が誰かの気を引くために、何かすごいことをしなければならないと、思ってはいませんか。
神様の前だけは、そんなこと思わなくていいんです。
ありのままのあなたであっていい。何にも持っていない、何にもとりえのない、なんにもすごいところなんか見つからない、自分のことをそう思っているあなたでさえ、神様はそのままに、あなたを大切に思ってくださるお方なのです。
そのような愛に溢れた神様の呼びかけを、聖書の言葉からたくさん聞いてほしいと思います。