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最後に「ありがとう」を聞いた日は?



そして、何を話すにせよ、行うにせよ、すべてを主イエスの名によって行い、イエスによって、父である神に感謝しなさい。

──コロサイの信徒への手紙3:17

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聖書を読むと多くの箇所が「すべてのことに感謝をして過ごすように」と勧めています。
しかしそう言われて、実際に意識をして過ごしてみても、なかなか感謝すべきものが思い当たらなかった、という日もあるかもしれません。
聖書が勧めている感謝の心というのは、ただ与えられるものに対して「ありがとう」と思うだけでありません。
むしろ誰かに感謝をされるようなことを自分からすすんで行う、ということも、私たちへの感謝につながる振る舞いなのです。

妻と出会ってから10年ほど経ちますが、それだけ長い間一緒にいると、相手のいいところだけでなく気に食わないところや、気持ちや考えがすれ違う時も出てきます。
それでも一緒に居続けるためには、恋人であった時のように、相手が好き、という気持ちだけでは乗り越えられないことも多く出てくるものです。
だからこそ、人と人との関係を長く大切に続けていくために必要なもの、それは、感謝の力を借りる、ということが大事なのです。
この感謝の力というのは、感謝の言葉を相手に伝えること、そして感謝していることを、目に見える行為で自分から表すことです。

誰にだって、虫の居所が悪い、不機嫌な時があります。
見るものすべてをネガティブに受け取ってしまって、心が荒れ果ててしまっている。そんなときがあります。
相手がそういう状態の時、あなたならどうしますか。

機嫌が直るまでそっと見守る人も多いかもしれません。
しかしもっといいのは、どんなに小さなことにも「ありがとう」と言葉をかけること、温かい飲み物を注いであげたりすることです。
そのような些細なことが、その人のふさぎこんだ心を癒し、前向きにすることがあるのです。
たったそれだけのことです。ささやかですが、うれしいと相手が感じることを互いに分かち合うこと。それが、私たちの間で感謝しあう心を育てていくのです。
これこそが感謝が持つ大きな力なのです。

感謝は、聖書が教える愛の振る舞いに結び付いていることを、今日の聖書箇所も私たちに教えます。
「何を話すにせよ、行うにせよ、すべてを主イエスの名によって行い、イエスによって、父である神に感謝しなさい。」

イエスはいつだって、下を向いている人、苦しい思いを抱えている人、自分ではそこから抜け出せずにいる人に、自ら近寄っていきました。
イエスが彼らにしたことは、奇跡ばかりが取り上げられますが、その実、その人に必要な言葉をかけ、その人の手を取り、祈り、その心に寄り添ったのです。
彼らはそのようなかかわりによって前を向き、喜びの声を上げ、イエスに従う者になっていきました。
イエスが引き出した感謝の心は、彼らの生き方そのものを変えていったのです。

何を話すにせよ、行うにせよ、相手が嬉しいと感じることを、行っていくこと。
それによって私たちはお互いに、感謝の力によって喜びあう毎日に向かっていくことができるのです。
そのためにこの聖書の言葉を心に留めながら、過ごしたいと思うのです。