その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。
──ヨハネによる福音書 1:9
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クリスマスになると、教会の礼拝堂の飾りつけにポインセチアが並ぶことがあります。
ポインセチアは非常に光に敏感な植物です。最初はすべて緑の葉っぱなのですが、秋分の日以降の数十日間、昼にしっかり日光に当てて、夜は覆いをかけて完全に真っ暗にしてあげると、綺麗な赤色に染まるのだそうです。
この緑と赤の入り混じったクリスマスカラーは、明るい陽の光と真っ暗な闇の加減で作り出されるというところも、クリスマスらしいなと思います。
そのように、光によって赤くなる、というポインセチアには、このような物語があります。
ある年のクリスマス、多くの人が教会にイエス様への捧げものを持ち寄る中で、ひとりだけ、何も捧げものを用意できなかった貧しい少年がいました。
彼はそれでも、せめてもの捧げものと思い、道端の草を摘んで持っていったそうです。人々はそれを見て「あんなものを捧げるだなんて」と笑いました。
しかし少年がその草を祭壇に捧げると、みるみるうちに草が深紅に染まって、燃えるような色になりました。
それからその植物は、クリスマスを象徴する植物となりました──というお話です。
今日の聖書箇所、ヨハネによる福音書では、イエス・キリストのことを「人間を照らす光」だと表現されています。
ポインセチアの伝説にも語られているように、イエス・キリストの誕生を祝うクリスマスの日にさえ、人間の中には、人の貧しさを笑うような悪い心があります。
けれどもイエス・キリストという光は、そのようにして人を嘲り、蔑む心を明らかにするものなのです。
実はこのように悪いことを考える心は、誰しもが持っているものなのです。聖書はこの悪い心のことを、「罪」と表現しています。
神様は、罪を持つ人間のために、イエス・キリストをこの世に生まれさせました。それは、私たちの罪を照らし出し、悔い改めさせるためであったからです。
そうやって私たちが誰かを悪く言ったり、誰かを傷つけるようなことをやめて、誰もが喜びと笑顔をもって過ごせるようにと神様は願われました。
そのために、イエス・キリストというお方を通して、神様のお考えを語ったのが、聖書が語っている物語なのです。
イエス・キリストはわたしたち人間を照らす光です。
それは私達自身を悔い改めさせる光であるとともに、私達が誰かに優しくする心を持つための、希望と愛に満ちた光でもあるのです。
ですから、ポインセチアの鮮やかな赤色を見る時、私たちは振り返りたいのです。
今年、誰かを傷つけてしまったことは、ありませんでしたか。
そうやって傷つけてしまった人とは、ちゃんと仲直り出来たでしょうか。
そして、自分が大事だと思う人には、ちゃんとその思いを伝えられているでしょうか。
クリスマスが近づいてきています。また、いよいよ一年の締めくくりの時でもあります。
この一年を振り返って、やり残したことがないか、もう一度振り返ってみましょう。