kyrie.

Christian,Bible,Games,and Diary.

ファミチキ丼とイエス・キリスト


「大変なとき、むしゃくしゃしたとき、この気分を吹き飛ばしたいときに食べてしまうモリモリのご飯はありますか?」


色んな人がそれぞれ上記のお題で文章を書いて、アドベントカレンダーみたいにして毎日公開しよう!というイベントを企画してくださったので、面白そうなので乗っかることにした。
僭越ながら、ある年のクリスマスイヴの話。

何もかもうまくいかない日が、誰にだってある。
僕にとってそれは、クリスマスイヴの日のことだった。

まだ牧師になる前。神学校で学んでいた神学生だった頃、その日はクリスマスイヴの礼拝のために、ある教会で実習をしていた。
しかもその教会は日付が変わる頃くらいまで、徹夜礼拝をするのが毎年の恒例であった。
ほんとやめてほしい。労働基準法とかどうなってんだ。そんなものはありません宗教なので。

その日、雪が降っていた。
朝、はらはらとちらつく程度だったのが、昼をすぎると本降りになっていたのを完全に見落としていた。
その結果、雪に弱い公共交通機関は軒並み影響を受け、自分が教会に向かう電車も凄まじい遅延に巻き込まれてしまったのだ。
世のカップルが夜の街灯に照らされながら「わぁ〜ホワイトクリスマスだね♡」などと呑気にのたまっている隣で、全速力で走り抜けても集合時間ギリギリになるかならないかの瀬戸際に立たされている自分の惨めさよ。

予定が狂い、調子が狂い、焦っている時には上手くいかないことが重なるものだ。
礼拝でロウソクに火を付ける役をやっていたら今日に限って入場途中で火が消えたり、
ライターのオイルがどうやら最後の一回だったようで、新しいライターも見当たらなくて会場にいる人に助けてもらったり、
無事礼拝を終えて脱いだスーツを着ようとしたら、いつの間にか破れていたのを発見したり。

一つ一つは小さなことだし、取り返しのつかない失敗だったわけじゃない。
でもそれ以上に、予想外のアクシデントが次々に起こると、それが取り返しのつかない失敗ではなくてもすっかり疲れ果ててしまうことってあると思う。

一夜明けても暗澹たる気分はどこにも行ってくれなくて、家に帰る前に投げやりな気持ちでファミリーマートに寄った。
ホットスナック棚にはどうやら揚げたてらしいファミチキがズラリと並んでいて、大学時代によく食べていた「ファミチキ丼」を衝動的に作りたくなったのだ。

「ファミチキ丼」というのは、なんということはない、自分がそう呼んでいるだけの、料理とも言えない丼メシのことだ。
「丼によそった多めのご飯にファミチキを乗せ、その上からマヨネーズとブラックペッパー(お好みでタバスコも可)を思いのままに好きなだけ塗りたくった丼」のことである。

美味いものはだいたい、味が濃いか脂が乗ってるかのどちらか(あるいは両方)であると思う。
この2つを摂取すると、大体のことがどうでも良くなる。そしてファミチキ丼は簡単に・手軽に・安価にそれを満たしてくれる最高のジャンクフードなのだ。

キリストが生まれたあの夜も、きらびやかで盛大なお祝いが行われたわけではなかった。
イエスの母マリアだって、臨月なのに国からのお触れで急遽実家に帰らなければならない旅の途中だった。
それなのにあの夜、ベツレヘムでは宿屋も空きがなく、産気づいたマリアは馬小屋で出産をしなければならなかった。
イエス・キリストだって、思いも寄らないアクシデントの中、この世にやって来たのだ。

そう思うと、失敗続きだったあの夜も、抱えていた暗澹たる気持ちも、イエスが生まれたことを思い起こすあの夜にふさわしいものだったのかもな、と思う。

クリスマス・イヴ。
きっと今日という日にも、幸せな人ばかりではないだろう。
忙しく働いている人もいるだろうし、こんな日に限って失敗ばかりで気を落としている人もいるだろう。
この世の暗闇の真っ只中にいる人もいるだろう。
でも、そういう人々の心に寄り添うために、きっとイエス・キリストというお方は、この世の暗闇の中にやってきたのだ。

家庭を持った今となっては食べることがなくなった「ファミチキ丼」だけれど、でもそのジャンクな味は、クリスマスが来るたびに今でも思い出すのだ。