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本当の一致に洗脳はいらない


一切高ぶることなく、柔和で、寛容の心を持ちなさい。愛をもって互いに忍耐し、平和のきずなで結ばれて、霊による一致を保つように努めなさい。
──エフェソの信徒への手紙4:2-3

宗教についてのイメージを10代の子どもたちに聞くと、ある子はこのように返してきました。
「洗脳するのに利用されていて怖い」と。
でもどうして宗教=洗脳、というイメージがあるんでしょうか。
それはきっと、新興宗教やカルトにおいては、宗教の教えと言うものが、皆が同じ考えになるように利用されてきた、というイメージがあるからだと思います。

教祖のような、自分よりもえらい立場の人々に対して疑いを持たないようにすること。
皆同じ考えを持って、経典の言葉は神様の言葉なんだから、教えられること以外の考えを持つことは悪魔のささやきだと、皆がそのような考え方をするように、厳しく教えに従わせる──。
そのようなカルトの在り方から、きっと宗教とその教えには、洗脳されるのではないかという不安が付きまとうのかもしれません。

確かに今日の聖書の箇所でも、キリスト教は「一致を保つ」ことを私たちに教えています。
でもこの一致ってどういうことだと思いますか?
全ての人の考えが完全に同じようになることでしょうか。きっと違うと思います。
私たちは一人一人違う人間ですから、考え方だって、価値観だって違います。
宗教はそれを、一つの決まった型にはめ込もうとするものではないのです。
今日の聖書の言葉が言う、「柔和で、寛容の心を持つ」ということは、そのように違う考え方や価値観を持つ私たち一人一人であるからこそ、お互いの考え方を尊重し、寛容になって互いに相手を受け止めるということです。
そのような心が本当の意味での「一致」を生み出すのだと教えているのです。

古いマンガですが、チャプレンの好きな漫画に「フルーツバスケット」という漫画があります。
それぞれに個性を持ち、わだかまりや仲たがいをした登場人物たちの間で、主人公は彼らの心に寄り添いながら、受け入れながら、関係性を少しずつ解きほぐしていく、という物語です。
ある場面で、自分のやさしさを乱暴な態度や言葉でしか表せないキャラクターが、主人公のやさしさに触れて困惑するシーンがあります。
すると主人公は言うのです。
「お母さんから聞きました。『疑うより信じなさい。人はやさしさを持って生まれてこないんだよ。優しさは体が成長するのと同じで自分の中で育てていく心なんだ。だから、人によって優しさの形は違うんだ。』」。
そう言われて、少しだけ素直になることが出来るようになる、という話があるのです。

パウロもまた、一致するためには、「愛をもって互いに忍耐し、平和のきずなで結ばれ」ることを続けて語っていました。
他者の心に寄り添い、互いに受け入れあうことが出来るときばかりではないでしょう。
まったく真逆の価値観や考え方、捉え方に出会うことだって、あるかもしれません。

でもだからこそ、そこには愛と忍耐が必要なのだと教えられているのです。
一見、周りの人々に邪険にして、自ら孤立を選んでいるように見えても、実は寂しさを抱えていたり。
言葉は乱暴で不器用だけど、本当は優しい心を持っていたりする。
表面だけの付き合いで判断するのではなくて、じっと忍耐しながら、目に見えるものの向こう側──目に見えないその人の心に、近づいていこうとするときに。
きっと私たちの間には、心を一つにする一致の道が開かれてくのだと思います。
そのような人間関係の助けとして、この聖書の言葉を心に留めながら、毎日を過ごしたいと思います。