SNSと人間関係って似てるね

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SNSを見なくなってもうすぐ2週間が経つ。

「見なくなって」と言いながら、実は数日に一回くらいはちらりと覗きに行ったりはしているんだけれども、それでわかったことは、この2週間で「SNSは必ずしもしなくてもいい」という選択肢が自分の中に生まれているということだ。
今の心境としては「ずっと走り続けてた気持ちだったけど、やっとホッと一息つけた」という感じが一番近い。

自分のサイトを自分の城として構えた理由の一つに、「他人の手によってサービス運営されているSNSは、その他人によって唐突にサービスが終わるかもしれないという恐れがある」というものがあった。
もちろんこのサイトだってWordpressを利用しているし、そのデータ格納のためにレンタルサーバーも利用している。
でも、「自分の意志でデータを手元で管理出来て、いつでも引っ越しが可能」という安心感は、SNSではなかなか得られないなと思う。

もうとっくの昔に言及されていることだけど、Blueskyが億万長者による中央集権型の運営体制ではなくプロトコルという分散型を目指して存続しようとしている考え方は、個人サイトにおけるHTML(もしくはほとんどのサイトで使用されているWordpress)において、既にある程度実現されてきた。
というのは、個人のサイトというのは究極的に分散されたインターネット上における情報発信であるからだ。
リンクやらRSSやらを使ってフォローしたり繋がったりすれば、もうそれは今のSNSに限りなく近くなるだろう(むしろSNSはそれを整えたマイクロブログとして登場してきたものでもあるが)。

だから、SNSよりも個人サイトのほうが「 ”ソーシャル” に対して自ら距離を保つことが出来る」という点が大きく違うかもしれない。
基本的には自分からアクセスしに行かなければ更新されたコンテンツを見ることはできない。
それは更新された情報が自動的に流れてくる、ということを自分で選択できるという利点にもなる。

この2週間、自分のサイトをメインに籠もってみて気づいたのは、このSNSにおける「情報が自動的に流れてくる」ということに、自分は結構疲れていたのだな、ということだった。
もちろん、自分がみたいと思う情報をフォローしているし、自分の書いたものに反応があったり、誰かが読んでくれるということはすごく嬉しい気持ちがある。むしろそれを求めてSNSをやっているフシがある。

でも、これまで主軸をSNSにおいて、SNSには書ききれないコンテンツを置く場所として自サイトを運営してたけど、それだとSNSを更新するために自サイトを更新する強迫観念(=焦り)が生まれてしまうのだな、ということを再確認した。
つまり自分は「人に見られていると見栄を張りたくなる」タイプなのかもしれない。
常に他者がいることを感じるSNSという場所では、常に「何かためになることを」言いたくなるのだろう。それが知らず知らずのうちに自分を疲れさせていたのかもしれない。

職業柄、人の前で話すことが多い。
でもそれは、それが得意ということではない。
仕事でもそうやって知らず知らずのうちに息の詰まる(でも喜びもある)仕事をしているのに、自分の余暇でさえそのような負担を自分に強いていたのかもしれない。
喜びもある。でも疲れや焦りがそれを上回るなら、離れる選択をする必要がある。そして今回はそれをして正解だった、と思う。

いつだったか、「自分のサイトは自分の家、Blueskyは行きつけのカフェ」と表現したことがあった。知らず知らずのうちに、それが逆転していたのかもしれない。そしてこれは、自分にとっては振り子のように繰り返されることなのかもしれない。
絶えず悔い改めることを聖書は求めるものだけれど、まさに自分にとっては必要なことだろう。

自分の中に答えが出たので、またBlueskyに舞い戻ってみようかと思う。
これからは(改めて)SNSは「見にいく」ものではなくて、自分のサイトと同じく「書きにいく」ものとして捉えてみようかな。

SNSとの付き合い方、距離の保ち方って、人との関係と似ていて難しいなって思ったけれど、そりゃあSNSに流れている情報は人から生まれ出たものだもの。似ていて当然だ。

これからものんびり、ぼちぼち、書き散らしていこう。