あなたとわたしの間に神様がいるから


すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。

──使徒言行録 2:4

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この前の日曜日は、キリスト教会では聖霊降臨祭、またの名をペンテコステと呼ばれるお祝いの日でした。
その日の礼拝では、今日の聖書の物語、弟子たちが言葉の壁を越えて、イエス・キリストの救いを人々に伝えるという場面が読まれました。
そのような不思議な出来事が起こったのは、神様の力、神様の霊である聖霊に弟子たちが動かされたからだ、ということを思い起こす日なのです。
私自身も、この聖霊というものがどういうものなのか、ずっとわからずにいました。
しかし以前、それを身をもって教えられる出来事がありました。

数年前、教会のつながりでアメリカに行くことになりました。
英語が全くできないので最後まで行きたくないと思っていたのですが、案の定アメリカに着いた初日は地獄のような気分でした。
中学英語すらままならないので、まったく聞き取れない英語に困惑しました。
言語の違いでコミュニケーションが一切成り立たないことが悔しくて悲しくて、その夜はこっそり泣いて過ごしたことを今でも覚えています。
次の日、朝早くに目が覚めたので、ホームステイしている家の隣にある大きな湖に一人、散歩に行きました。
そして神様に切実に祈りました。「英語がわかるようにしてください」と。
当然ですが、それで英語が突然話せるようになるわけではありません。
でも、勇気は出ました。
すごく簡単な単語をいくつか並べて、なんとかして自分の意思を伝えようとすると、ホストファミリーの顔がすごく明るく、嬉しそうな顔になって、すごく簡単な英語で返してくれたことをよく覚えています。

その時、人に関わるということの中で一番大事なことを教えてもらった気がします。
私たちが誰かと関わりあうことの中で最も大事なことは、自分の気持ちが相手にちゃんと受け取られ、また相手の気持ちを受け取ることは、嬉しいことなのだということです。

当たり前のことのように思うかもしれません。
しかし同じ日本語を話していても、誤解が生まれたり、全然自分の意図が相手に伝わらなかったり、すれ違ったりすることがあるでしょう。
ちゃんと自分の気持ちが誤解なく受け取られる、そのコミュニケーションの喜びを、当たり前にしてしまってはいないだろうかと思うのです。

ペンテコステの物語が語っているのは、信じられないような超常現象ではありません。私たちの日常において、言葉によるコミュニケーションの中で、起こっていることなのです。
私たちがお互いに、伝えようとしていることをちゃんと理解し、誤解なく受け取れているということ。それ自体が、神様の奇跡、神様の働きなしにはありえないことなのです。

私たちの言葉は不完全なものです。伝えたいことがなかなか伝わらないこともある。でもちゃんと伝わったときには、私たちと誰かとの間で、神様が間に立って、その関係性を支えてくれたということなのです。
私たちの知らないところで、当たり前を支えてくれている神様がいる。
そのことを忘れないようにするためのお祝いの日が、ペンテコステという教会の祝祭日なのです。