永遠にわたしを支えてくれるもの


こう言われているからです。「人は皆、草のようで、その華やかさはすべて、草の花のようだ。草は枯れ、花は散る。しかし、主の言葉は永遠に変わることがない。」これこそ、あなたがたに福音として告げ知らされた言葉なのです。

──ペトロの手紙I  1:24-25

+++

先日、何年も愛用していたものが次々に壊れて使えなくなってしまいました。
大切なもの、長く使っているものが壊れると、かなり落ち込むものだなと思います。
それだけ長く使っていると、自分の手足の一部が欠けたかのように、これまでできたことが不便になったり、新しいもので代用しようとしても、「やっぱり使い慣れたもののほうがよかったなあ」と過去を振り返ったりするものです。

でも、かたちあるものはいつか壊れるものです。
自分の失敗で壊れてしまうこともあるでしょうし、仕方なく大切なものを手放さなければならないときもあるでしょう。
悲しいし、困ることもありますが、そのたびに考えさせられるのは、かたちあるもの、目に見えるものは、いつまでもそれに頼って生きることはできないということです。

だれだって一つは、「これがないと生きていけない」と思うものが人生の中でひとつは見つかるものです。
物に対してだけでなく、「あなたがいなければ生きていけない」という思いを向ける相手ができるかもしれません。
でも、それが失われるたびに、代わりのものを探し求めていては、私たちはいつも不安定でいなければならないでしょう。
人と人との関係性だって同じです。誰かとの関係を良い形で保っていくためには、努力も忍耐も必要ですし、私たちの努力ではどうしようもできない別れも存在するからです。

それでは、どうすればいいのでしょうか。聖書はこのように私たちに教えます。
「人は皆、草のようで、その華やかさはすべて、草の花のようだ。草は枯れ、花は散る。しかし、主の言葉は永遠に変わることがない。」

私たちにとって大切なものは、目に見えるものではない、と聖書は教えます。
目に見えない神様の言葉が教えているものこそが、永遠に変わらないものなのだというのです。
つまり、物は壊れ、人はいつかは別れるものです。
でも、そこに私たちはそれらから何を受け取ってきたのかが大事なのです。

不注意で壊してしまったなら、壊さないように注意をしなければならないという教訓も得られるでしょう。
使い倒した末に新しいものに変えなければならないのなら、これまで自分を助けてくれたそれらに感謝することを教えられるでしょう。
関わる相手に対しても同じです。理解しあい、思いあうためには、時にはぶつかりあうこともあるかもしれません。
しかし、それは相手を大事にし、この先の良い関係性を築いていくための話し合いであるべきでしょう。傷つけあうためにぶつかる必要はないのです。
避けられない別れがやってきたときには、お互いに憎みあって離れるのではなく、お互いのために、感謝をもって別れられるようにしたいものです。
そのようにして受け取ることで、一時的ではなく永遠に、わたしという人間を豊かにしてくれるものとなるのです。

目に見える以上に大切なものがある。
目に見えるものばかりに捕らわれてしまう私たちであるからこそ、この聖書の言葉を私たちは心に留めながら、物や人を大事にしながら過ごしたいと思います。