ありがとうが溢れる世界へ



だれでも持っている人は更に与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる。

──マタイによる福音書25:29

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この聖書の言葉を読んだとき、イエスは何でこんなたとえ話をしたんだろう、と思いました。
しかもこの言葉がイエス・キリストの口から、「神様が私たちに与えようとしている世界はこういう世界ですよ」という話の締めくくりとして出てくることに驚いたことがあります。

この言葉の前の部分を読んでみると、神様が望んでおられる世界の在り方、天の国においては、神様から与えられたタラントンをいかに活用し、それを増やすか、というところに目が向けられています。
このタラントンは聖書の中ではお金として登場していますが、タラントンという言葉は、タレント、つまり神様から授かった才能を指す言葉のもとになった言葉でもあります。
だから、私たち一人一人が神様から与えられた才能をちゃんと用いることで、もっともっとあなたは豊かになりますよ、という話なんです。
でも一方で、せっかくもらった才能を使わずにいた人が登場しています。その人は神様から才能を取りあげられてしまう、そして才能豊かな者にそれが与えられてしまう、ということも語られるのです。
どうしてイエスはこんな話を天の国のたとえとして語ったんでしょうか。

自分の才能って何でしょうか?
スポーツがうまいこと、勉強がよくできること?
いつも周りを明るい気持ちにするムードメーカーであること?
誰かを引っ張っていくリーダーシップや、あるいはしんどい気持ちを抱えている人を慰め癒すことができる優しさかもしれません。
自分にはそんな目立った才能なんてない、と思う人もいるでしょう。
そういう人は、こう考えてはどうかなと思います。

「ありがとう」が言える才能もあるんじゃないかな、と。

人が周りに集まる人の特徴ってなんでしょうか。
調べてみるといろいろと出てきますが、その中でも特に「ありがとうという言葉を口癖にしている」ということがよく挙げられていました。
ありがとうという言葉は不思議です。言われて嬉しい気持ちにはなっても、嫌な気持ちになる人はほとんどいません。
何か特別な技術が必要なわけでもないし、誰でもできることです。
ありがとうを言えるということ、それは誰しも神様から与えられた才能だと思います。
そしてありがとうを言える人の周りには、たくさん人が集まってくる。
そしてもっともっと、自分の力だけではできないことができるようになる。まさに、「持っている者はさらに与えられて豊かになる」のです。

ありがとうが言えないと、どうなるでしょうか。
ありがとうとは言わずに、もっとこうしてほしかったとか、周りに不満ばかりを言う人がいたら、あなたはどう思いますか。
そんな人とは一緒にいたくないって、離れてしまうと思います。
人との関わりが失われてしまえば、ありがとうの言葉さえ伝える事ができなくなります。
まさに、せっかく与えられている才能が、全く生かせない、奪われた状態になってしまうのです。

神様はあなたの才能を奪いたくて奪っているのではありません。
使わないで無駄になってしまうのなら、使ってくれる人に分け与えたい。
あなたにも神様から与えられた才能を活用する人になってほしいと呼び掛けるために、今日の聖書の言葉はあるのです。

だから、私たちに与えられている、どんな些細な才能であっても、それをしっかりと活用することが大事なんだよ、ということをイエスは言いたかったのです。
あなたにもきっと、いろんな才能が与えられているでしょう。
特に、ありがとうの一言を伝えるという才能(タラントン)は、ひとり残らず全員に与えられていると思います。
何か特別なことを出来なくてもいい。優秀な成績や誰も持っていない技術を持っていなくてもいい。
心からのありがとうの一言を口癖のように、言える人であってください。
そうすればきっと、皆さんの世界はきっと、神様が望んでおられる豊かな世界へと近づいていくことだと思います。