コヘレトは言う。なんという空しさ
なんという空しさ、すべては空しい。
──コヘレトの言葉1:2
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旧約聖書の時代、イスラエル王国の中で最も偉大な王として、ダビデと言う人がいます。
そのダビデの子どもであり、次の王となったソロモンという王がいますが、このソロモンが、箴言に引き続き、コヘレトの言葉という書を書いたと言われています。
ソロモンは若い頃に神様から「何でも欲しいものをあげよう」と言われた時、「民を統治するための知恵が欲しい」と答えました。
ここでソロモンは「お金」や「権力」などを願ってもよかったはずですが、ソロモンは自分のためではなく、自分が統治する民のために知恵を願ったのです。
これに感動した神様は溢れんばかりの知識と知恵をソロモンに与える、という話があります。
そのため、ソロモン王の時代のイスラエル王国はこの世の栄華を極めた時代になりました。
しかし、そのソロモンが、この世を見て「すべては空しい」と言ったのです。
そしてソロモンは続けてこうも言います。「これは新しいと思っても、それはもうすでに昔の時代からあったものだし、これから起こることもかつてあったことの繰り返しだ」と。だから空しい、とソロモンは言ったのです。
ソロモンの言っていることは確かにその通りです。
歴史上起こったことは繰り返し起こるものですし、現代で最も進歩的な政治形態と思われている民主主義にも問題があることは2500年前にプラトンが指摘をしています。今、実際起こっているとも言えるでしょう。
私たちは思うかもしれません。
「でも、ほんの数十年前はスマホやパソコンなんてなかったし、新しい時代には新しいものがたくさん発明されているじゃないか」と。
その通り、時代が進むごとに、私たちの身の回りはどんどん変わり、どんどん便利になっています。
しかし、たとえば私たちが誰かに「あなたのことが好きです」と伝えようとするとき、ほんの100年前は、直接会わなければ伝えられませんでした。
郵便が登場して、手紙が使えるようになり、電話が登場して、離れた場所でも言葉を伝えられるようになりました。
インターネットとパソコンが登場してメールを送れるようになり、今はSNSがあります。
時代によって伝えるツールは変わっても、私たちが誰かのことを好きになり、誰かにその思いを伝えることのすばらしさは、何千年も前から変わりません。
変わりゆく時代の中で、私たち人間という存在自体は、ずっと変わらないのです。
だからこそソロモンは、時代によって変わりゆくものに振り回されないようにと「すべては空しい」と言ったのかもしれません。
変わらないもの、つまり人間そのものに私たちが軸足を置いて世界を見ようとするとき、時代に左右されない大事なものが見えてくるのです。
何かを、あるいは誰かを好きになるということ。
興味があることに没頭し、深く知ること。
歴史から学び、過去の過ちを繰り返さないように注意をすること。
何千年も前から変わらないわたしたちであるからこそ、わたしたちが常に必要とするものは、必ず手が届くところにあります。
ソロモンが自分のためではなく誰かのための知恵を神様に求めたように、私たちも歴史を思い起こし、知識を蓄え、そしてそれを誰かと共に喜んで生きるための知恵として使ってまいりたいものです。