恐れを締め出す本当の愛


愛には恐れがない。完全な愛は恐れを締め出します。なぜなら、恐れは罰を伴い、恐れる者には愛が全うされていないからです。

──ヨハネの手紙一 4:18

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先日、『フロントライン』という映画を見ました。今年の6月に公開されたばかりの映画で、『国宝』と同時期であったことから見逃していたのですが、大変考えさせられる映画でした。
かつて日本にコロナウィルスが上陸する前、横浜港に到着した豪華客船「ダイアモンド・プリンセス号」の中でコロナ陽性者が相次いだという実際の出来事を元に作られた映画です。
あの時のニュースを覚えておられる方も多いかもしれません。

あの時、日本中が騒然とし、コロナ陽性者を受け入れた病院に非難が殺到したり、そこで働いている医師や看護師たちが差別を受けたりしていたことを思い出します。
「この人同じ新幹線に乗ってたらしい、いやだね、家から出ないでほしいわ」みたいな声がSNSに溢れ、医療に携わる人々の子どもたちが学校や幼稚園などでばい菌扱いされて登園・登校できなくなったという出来事もありました。
当時のコロナウィルスはまだ毒性が強く、重症化や死に至る病として恐れられていましたし、その感染力の強さやどのように感染が広がるのかということもよくわかっていませんでした。
その不安をあおるようにマスコミなどのメディアが騒ぎ立て、SNSでも恐怖と心無い言葉が飛び交っていたことを思い出します。
しかしそのような中で、懸命に一人一人の命に向き合い、自らを危険にさらしながらも目の前の命を救おうと懸命に働いた人々がいたことを忘れないようにと呼び掛けている、そのように感じる映画でした。

この映画を見て思うことは、コロナが私たちの生活を脅かしたあの時のことを、忘れないようにしたいということです。
恐怖がどれほど私たちを狂わせ、誰かを差別するような心を生み出すのかを、覚えておきたいのです。
それは何千年も昔、イエスの時代から変わらない私たちの本質であるのです。
今日の聖書の言葉にも、「恐れは罰を伴う」と書かれている通りに、私たちは恐れるからこそ誰かを傷つける方向に行ってしまうこともあります。
しかし一方で「完全な愛は恐れを締め出します。」とも言われるのです。

『フロントライン』にこういう場面がありました。
両親はコロナの重症化により先に搬送され、十代の兄弟ふたりが取り残されています。
そこで弟もコロナの陽性になってしまい、たったふたりきりの兄弟さえも隔離病棟へと引き離されそうになってしまうのです。
そこで陰性の兄は言うのです。
「ぼくはコロナにかかって死んでもかまわない。弟と一緒にいさせてほしい」

「愛には恐れがない。完全な愛は恐れを締め出します。」と今日の聖書は語ります。
調べればたいていのことがわかるこの時代だからこそ、知らない、知れないということは恐れを生み出すものです。
恐れが恐れを引き連れて、自分を守るために周りへの差別を生み出すこともあるでしょう。

しかしそれでも、愛はこの世からなくなることはないのです。
『フロントライン』が描き出したのは、恐れと苦しみの中で私たちは悪い方向にいくこともあるけれども、一方で私たちは誰かを愛し、誰かに心を寄せ、誰かを救おうと懸命に努力し続ける、そのような希望に生きることができるという姿もまた、描かれていたと思います。

私たちも、そうありたいと思います。
旧約聖書において最も重要な掟として「隣人を自分のように愛しなさい(マタイ19:19)」をイエスが選ばれたように、どのような苦しく大変な状況の中にあっても、人のせいにしたり、誰かを差別するのではなく、誰かの心に寄り添い、共感をもって関わりあう、そのような愛の心を私たちも保っていきたいと思うのです。