「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と言われた。
──マルコによる福音書1:15
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星野富弘さんという方をご存知でしょうか。
群馬県出身の詩人であり画家の方です。もともとは中学校の体育教師であったそうです。
しかし部活動指導中に頸髄を損傷し、首から下の自由を失いました。
入院中に口に筆をくわえて文や絵を書き始め、詩を添えた水彩画を書くようになりました。
その後に聖書に出会い、クリスチャンになりました。
この星野富弘さんの詩に、キリスト教に出会った頃の「空」という詩があります。
こういう詩です。
毎日見ていた空が変わった
涙を流し友が祈ってくれたあの頃
恐る恐る開いたマタイ福音書
あの時から空が変わった
空が私を見つめるようになった
ここで星野さんに起こった出来事と言うのは、視点の転換でした。
空を見ていた時、世界の中心は星野さん自身でした。
首から下の自由を奪われ、自分の意思では一歩も動けなくなってしまった、その状態から見上げる空は、なんと空しいものであったことでしょう。
空でさえ移り変わり、雲でさえ動いていくのに、自分は動けない、そんな絶望があったことだろうと思います。
しかしそこに、変化が訪れたのです。
自分が動くのではなく、友が動いて、星野さんのために祈ってくれた、と言うのです。
そうしてマタイ福音書──聖書に出会った星野さんは、「空が変わった」と綴ります。
「自分が見つめていた空」から「自分を見つめる空」に変わった、と。
視点の転換がここに起こっています。
中心が自分から空、つまり神様に変わったということが、ここに表されているのです。
キリスト教における「悔い改め」と訳された言葉は、ギリシャ語ではメタノイアという言葉です。
これは元々は「方向を変える」という意味をもつ言葉ですが、現代のギリシャ語では「視点の転換」という意味として使われている言葉でもあります。
聖書が書かれた時代のギリシャ語では、ここに神様との関係を結び付け、神様の方向に向きなおる、という意味で使われていた言葉でしたが、そこで起こることはまさに「視点の転換」──世界を見る時、私中心の視点から神様中心に転換していくことであるのです。
これが聖書の言う「悔い改め」であり、神様との出会いなのだと語られているのです。
イエスは公の生涯を始められる際、最初にこのように言われました。
「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」。
一番最初に語られたイエスの言葉とされているこのセリフこそが、イエス・キリストが、神様が私たちに最も伝えたいメッセージの一つです。
神様が私たちに与えようとしておられる国は、私たちの世界とは別の所にあるのではありません。
神の国は、死んだあとに行く天国と呼ばれる場所のことではありません。今ここに、もう来ている。私たちの世界の中にある。
それを私たちが見るためには、悔い改めること、私たちの視点を転換するだけでよいとイエスは言われました。
そこに、神様の福音、神様からの良い知らせがあるのだからと呼びかけられたのです。
私たちはこの世界をどのように見ているでしょうか。
多くの人が、自分を中心にして見ていることばかりではないかなと思います。
自分が周りからどのように見えているか、誰があなたを見ているのかを、今一度考えてみたいと思うのです。
出来る事ばかりに目を向けるのではなくて、できないこと、誰かの助けが必要な自分の弱さにも、目を向けたいと思うのです。
どれだけの人に見守られているのか。支えられているのか。助けられているのか。
あなたのことを思い、あなたの幸せを願い、あなたの将来を心配し、あなたが一人前に生きていけるようにと祈っている人々がどれだけいることでしょうか。
それが、愛されているということです。
あなたの周りの人々が、あなたを愛し、そして誰よりも神様が、あなたを愛してくださっている。
それが、あなたにとっての良き知らせ、福音であると、イエスは何よりも最初に伝えたくて、このように言ったのです。
自分中心の視点を転換して、あなたが愛されていることを、信じてほしい。
星野富弘さんがたどり着いたその救いが、永遠の神様の言葉として私たちに届けられていることを、心のどこかにいつも留めておきたいと思うのです。