三行日記2026/02/03~02/09

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2026-02-03(火)

学級閉鎖になるクラスが相次いでいる。
自分が生徒だった頃は病気になると不安だった。何日か学校に行っていないだけで、学校という場所が「いつも行っている場所」から「自分が知らないことが起こった場所」に変わってしまううっすらとした恐怖があった。今の子たちもそうなんだろうか。
忙しい1週間を乗り越えたと思ったら、忙しさにかまけて後回しにしていた仕事が今週は降りかかってきている。仕事の予定に「ゆとり」を作っておくことの大事さを身をもって学んでいる。

2026-02-04(水)

通っている教会のホームページのリニューアルを頼まれて、半分趣味も兼ねて引き受けたんだけどwordpressいじるのやっぱ楽しい〜!!
やるべきこととやりたいこと、この2つのバランスって大事だなと思う。どちらかに偏りすぎてもいけない。一度立ち止まって、今するべきか、せざるべきかを自分に問うことがあると何事にも意識的に取り組めると思うし、宗教はそれを祈りという形で整え、促しているものなんだなと思う。
人は人生の約3分の1を働いて過ごすんだそうだ(人によると思う)。働くことってホント大変なことだと思う。でも、仕事があるということは誰かに必要とされているからそれが生まれているのだし、バランスを取りながら、誰かの役に立つことを自分も楽しんでできれば、これほど幸せなことはないよね。

2026-02-05(木)

今年の年度末はたった2週間の間に2つ卒業式があり、その合間に泊まりがけの行事も入っていて、その準備がハードモードのおじゃまぷよみたいに一気に降ってきている。次年度は絶対どうにかしたほうがいい。まあどうにかするんですけどね、現実にゲームオーバーはないので。
今日は最高気温が2桁に乗って過ごしやすい日だった。激寒の日々のなかで不意に気を緩める日を差し込んでくる感じ、慰安旅行だけは豪華なブラック企業みたいだなと思う。
今週、体調不良も相まって1週間がやけに長く感じる。

2026-02-06(金)

聖書の授業をするということを通して、自分にも改めて悔い改めさせられることがある。
今はイスラエル王国最初の王サウルの話をしているんだけれど、彼の過ち、罪について思う。彼は自分を王として選んだ神様に頼らず、自分の力により頼んだ。それゆえに追い詰められ、臣下だったダビデさえ憎むようになった。
謙虚さと感謝を失う時、こうも人は安定を失い、他者との関係さえ保てなくなるのかと心に留めたい。

2026-02-07(土)

一週間体調不良をおして仕事をしていたツケを払おうと思って10時まで朝はのんびり寝ていたのだが、起きたはいいものの午後にまたダウンした。すさまじい倦怠感。今日ほど何もしたくない日はない。
聖書通読、日々のノルマよりも先んじて読み進められている。ただ忙しいからと1日2日先んじている分をストックだと思って読まないでいると、なんだか読み続けていた時の文脈が自分の中で途切れてしまうような感じがある。毎日読む、というのが一番大事なことなのかも。
まじめな聖書の話、無事更新できてよかった。

2026-02-08(日)

朝早く起きて、明日の授業を作っていたらめまいがし始め、今日は体調不良で1日ダウンしていた。
こんなに寝れたのは久しぶり。明日はなんとか出勤できそう。
雪が積もっていた。こんな日に選挙なんて気が狂っているよな、と思う。

2026-02-09(月)

朝早く目が覚めて、ふとSNSを開いて見ると、選挙速報に様々な声が上がっていた。おおむね悲嘆。しかしやるだけのことはやった、ということは誇ってよいのだと思う。
聖書を読み進めている。ちょうどマタイの十字架の箇所と今日の現実が重なる。自分に都合の良い救いに飛びつき、勝手な期待をし、そこから外れれば一気に憎悪の扇動に飛びついていく。今にこの日本でも見られるかもしれないこの光景を想像してぞっとする。
誰かを悪者にし、裁きたいという心に、イエスの言葉が響く。「あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか(マタイ7:1)」。

今週の一言

今週は体調不良がずっと続いていて日記を書くのがしんどかった。
でもそれは自分の外側に意識を向けることが少なかったからという理由が大きかったように思う。
体調不良だと他の人と意見を交わすことも、他の人の意見を聞いたりする機会も減ってしまう(それは必要なことなのだが)。
やはり様々な人々の意見の中で、いろんなことを考えさせられることがあってこそ、いろんなことを言いたくなるものだと思う。
ふとすれば「今日もつつがなく終わった」で済ませてしまいがちな毎日だけれど、一日ひとつは新しい情報や心を揺らす言葉を得られるような毎日でありたい。