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2026-03-03(火)
泊まりがけの学校行事というのはいつの時代も生徒は楽しく、裏で大人たちは奔走する、そういうものなのだと思う。今回まれに見る(と長く勤めている先生に聞いた)アクシデントの連続で、本当にその場その場の対応でヘトヘトになった。
ただ、子どもたちが楽しそうにしていたことがこれほど教師としての自分を支えるとは思わなかった。
パウロが「福音のためなら、わたしはどんなことでもします。それは、わたしが福音に共にあずかる者となるためです。(Iコリント9:23)」と言ったのもわかる気がする。子どもたちが喜んで学んでくれるのなら、何だってやってやろうという気持ちで動いている。
無事に今日が終わって良かった。明日も頑張ろう。
2026-03-04(水)
泊まりがけの学校行事のプログラムもすべて無事に終わり、生徒を送り出した後、学校に帰る前に寄ったラーメン屋の店主の話が面白かった。
青山学院大学の陸上の監督である原監督と同級の友人なのだという。まだ青山学院が駅伝でシード校にもなれなかった時期からの付き合いなんだそうだ。駅伝上位に名を連ねる学校の監督のために、あるパーティでは特別に席が用意され、他の参加者たちは立食での参加となるのだが、そこで当時上位10位にも入っていなかった青山学院を鼻で笑われたことから、原監督はそのラーメン屋の店主のところへ行ってボロボロと涙を流しながら悔しがったそうだ。その悔しさをバネに、今や陸上強豪校として名を連ねることになった青山学院の指導に根気強く携わっていったのだという。
今でこそラーメン店をやっているが、かつては帝国ホテルの料理人のもとで修行したとか、バーテンダーをやっていたとか、大学で経済学の特別講義をしたとか、どこまで信じていいかわからない経歴を披露してくれたが、それはそれとしてラーメンはおいしかった。
2026-03-05(木)
生徒にとって、礼拝堂でキリスト教に関わる映画を見るということは、すごく特別に感じるらしい。
人は宗教的なもの、神的なものに対して、何の素養もなくても、なんとなく「神聖なものだ」と感じる感覚が備わっているように思う。
キリスト教主義の学校に進学してきた子どもたちだって、宗教の知識が豊かな子ばかりではない。けれども、皆一様に、礼拝堂がどこか聖なる場所のように感じているのは不思議なことだし、その感覚を大事にして欲しいと思う。
2026-03-06(金)
いよいよ年度末。今回は後期の成績だけでなく、学年点という1年通しての成績を出さなければならない。
どうにかして成績処理をAIに全部やってもらえないかということを何度も考えるが、上手い方法が思いつかないし、試行錯誤している時間がもったいないし時間的余裕もないので、結局手作業でやってしまう。
教師という仕事の中で最もなくなってほしい作業とも言えるし、これさえなければ天国なのにな、と毎年思う。
2026-03-07(土)

geminiをターミナルで動かせるGemini CLIというのがあるらしいと知って、子と遊ぶ傍ら入れてみた。
前提となるプロンプトはフォルダに「gemini.md」を作って読み込ませればいいというシンプルな作りでわかりやすいし、PCだとわざわざブラウザから開かなきゃいけないところをターミナルでいじれるのはいいなあ。
どうやらobsidian上のプラグインでこれを動かせるという話らしいのだが、調べてもWinかMac上で動かす方法しか記事が見つからず、Geminiに聞いたもののイマイチわからずじまいである。
2026-03-08(日)
久しぶりに朝ゆっくりした時間に起きた。休めるとわかると途端に体が重くなって、今日はずっとしんどかった。
卒業式も終わったし、あとの一番のハードルは生徒の成績を出すことだ。
もうひと頑張りだ。
2026-03-09(月)
「サン・オブ・ゴッド」という映画がある。イエス・キリストが生まれてから死んで復活し、弟子たちを派遣するまでを描き切った映画だ。
とにかくイエス自身の言葉をビジュアルでしっかりと肉付けした映画で、多分全くイエスの物語を知らない人が見れば、イエスの生涯に何が起きたのかを総覧できるという点では良い映画だったと思う。ただし、始終イエスの言葉が謎めいて響くような作りになっていて「あれってどういう意味の言葉だったんだろうか」と自ら問う機会を持つことなしには始まらない、そんな映画だった。
エチオピア人の宦官が弟子フィリポに「手引きしてくれる人がなければ、どうして分かりましょう(使徒8:31)」と語ったように、その時代、その時に聖書を読み解く手引きは求められるものなのだと思う。だからこそイエスは自分でではなく、わざわざ弟子たちを──普通の人間の力を用いるというまどろっこしい方法を選ばれたのだろう。その教えが神と同じく、永遠に語られるように。
今週の一言
なんか毎週「もう一週間過ぎたの?」という気持ちで過ごしている。
忙しいからということもあるけれども、あっという間に過ぎるからこそ、こうして一日一日、考えたことを書き残すことは大事なのかもしれない。
一週間前、一か月前、一年前に何を考え、何を書き残していたかということ自体が、自分の軌跡になるということを思うと、この三行日記も(結構大変だけど)続ける意義があるのかもしれない。