あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。
──ヨハネによる福音書 13:34
よくキリスト教を知らない人から、こういう風に言われたことがあります。
「キリスト教って守らなきゃいけないことがたくさんあるんでしょ?お酒飲んじゃいけないとか、タバコ吸っちゃダメとか」
教派によってはそういうことを言う教会もあるかもしれませんが、ほとんどのキリスト教会ではそんなことはありません。
イエスが私たちに守るようにと定めた掟はたった一つ「神様があなたを愛しているように、あなたも互いに愛し合いなさい」という、それだけだからです。
しかしこの掟を本当に理解して守るためには、旧約聖書の律法にまでさかのぼらなければなりません。
なぜならそこにこそ、イエスがたった一つの掟に込めた、大事にしてほしい神様の心が、表されているからです。
イエス・キリストが生きていた当時、ユダヤ教では旧約聖書の律法に従って皆が生きていました。この律法は旧約聖書の中に記されていますが、これを人々がマニュアル化して、箇条書きにした「ミツヴォット」というものがあるのです。
この箇条書きにされた律法の数は、613個と言われています。
この613個の戒律は、実は「○○しなさい」という、行動を促すような積極的な戒律と、「○○してはいけません」という行動を禁止するような消極的な戒律に分かれます。
そして、「○○しなさい」という積極的な戒律は248個、「○○してはいけません」という消極的な戒律は365個に分けられるのだそうです。
実はこの数にも意味があります。○○しなさい、と勧められる248個は、古代の人が人間の骨の数と重要な臓器の数だと考えていた数字でした。
つまり、私たちの体を形作る数、ということです。
対して○○してはいけません、という消極的な戒律の365個は、365日、一年を表しています。
私たちは365日、毎日「してはいけない」ことをしてしまう、そういう存在であることを心に留めなさい、という意味が込められているのだそうです。
ですから、神様から与えられた律法を守る、ということは、私たち自身を振り返り、体も心も整え律するために、神様が命じられたものだということが、この数に表されているのです。
そしてイエスは、この律法を完成させたお方である、と言われています。
なぜならこうして私たち自身を整える律法を、自分のためだけではない、お互いに関わりあう中で実践をしていって、お互いが整っていくために用いられるべきものだということを教えたお方であったからです。
ですからキリストの言う「互いに愛し合いなさい」という勧めは、神様がそうされるように、相手の心と体が整うような、相手のためになるような良い関わり方をしなさい、ということであるのです。
今日の私たちは、自分は整っている、と言えるでしょうか。心をまっすぐにして生きれているでしょうか。
そして、関わりあう人との関係もまた、整っていると言えるでしょうか。誰かを傷つけるのではなく、誰かと助け合うような関わり方ができているでしょうか。
そのことをまず見直しながら、今日のイエスのみ言葉に生きていきたいと思います。