だから、目を覚ましていなさい。あなたがたは、その日、その時を知らないのだから。
──マタイによる福音書 25:13
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以前教会でお会いした、お年を召したある信徒さんは、土曜日の夜には必ず枕元に翌朝教会に着ていく服を用意してから寝る、という習慣がありました。
しかしある土曜日の夜、その信徒さんは救急搬送され、天に召されていきました。
ご葬儀に参加した際、お連れ合いの方が話されていたことが心に残っています。
救急搬送されて家に帰ると、その方の枕元には、いつもと同じように、翌朝着ていく服がそろえて準備されていたのだそうです。
「きっと彼女は、教会の礼拝に行く準備だけでなく、神様に会いに行く準備もしっかりとする人だったと思うのです」と挨拶を結んでおられました。
人の死というものだけでなく、私たちは明日何が起こるかということさえ、知ることはできません。
「明日も今日と同じ日になる」という確証はないのです。
先日7月5日に世界が終わるかもしれないという噂が話題になっていましたが、聖書にも、イエスが世界の終わりについてのたとえ話をという場面があります。
世界の終わりには、天におられるイエス・キリストが再びこの世にやってくるというのです。
そしてすべての人に対して、天の国に迎え入れるか、それとも地獄の滅びに定めるかの裁判をする、という最後の審判が下される話が聖書には記されています。
大事なことは、これが本当にその通りに起こるかどうか、ということではありません。
その日がいつかくる。いつかはわからない、明日かもしれない。
そう思って私たちが生きる時、じゃあ今日という日をどのように生きるべきなのか、ということを考えさせられるのです。
イエスは言われます。世界の終わりがいつ来るのか、「あなたがたは、その日、その時を知らないのだから」、「目を覚ましていなさい」と。
イエス・キリストが来られてすべての人を裁かれるとき、あなたがその備えをちゃんと整えているように、と呼び掛けるたとえ話が、今日お読みした聖書の箇所には語られているのです。
わたしたちは、ちゃんと明日の準備をすべて整えてから、今日という一日を終えているでしょうか。
朝は寝坊し、うっかり忘れ物をし、約束をすっぽかし、明日早く起きれないくらい夜更かしをしてしまう、そんな一日を過ごしてしまうことはないでしょうか。
明日という日は、待っていれば自動的に来るのではありません。
神様が与えてくださるから、今日も、明日も、明後日も、生きていられる。新しい朝が来るのです。
だからこそ私たちも、ちゃんと準備を整えて、その日、その時を迎えていきたいと思うのです。
美味しいご飯。誰かとのあたたかな関係性。安心して眠る場所があること。毎日頑張れる目標と、やらなければならないことがあるということ。
私たちを生かすために用意されているすべてのことに感謝をしながら、自分ができる準備をしっかり整えていきましょう。
あなたの明日が地獄にならないように。今日のイエスの呼びかけに耳を傾けていきたいと思います。