【黙想】『キリストにならう』 第1巻第2章2


みだりに物を知りたい望みを抑えなさい。それはしばしば、放心と欺瞞を生むからである。知識のある人は、その知識を人に知られること、賢い人と呼ばれることに満足する。知ったところで霊魂に大した益をもたらさないことは相当多い。自分の魂の救いに役立つこと以外の心配をする者は、非常に愚かである。多くの言葉は霊魂を満足させないが、よい生活は心をうるおし、清らかな良心は神への信頼を起こさせる。

──『キリストにならう』 第1巻第2章2

+黙想+

知るべきだと言われる知識は今や山ほどある。
自分が子どもの頃に習った内容よりはるかに多いことを今の子どもたちは覚えなくてはならない。
しかし本当にそれがすべて必要なのだろうか。
それは今よりも上級学校に上がるための試験のためだけに必要な知識と化してはいないかと思う。

イエスは、最も大事なこととして「神を愛し、隣人を自分のように愛しなさい」と旧約の律法を引用し、「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい」というたった一つの新しい掟を与えてくださった。
それだけを知り、そのほかの知識は全て、それをいかに豊かにするために用いるべきではないか。

何もかもを知り尽くすことが良いことではない。それは、知っても知り尽くすことのできないお方、神がおられるからである。
神のことが理解できない、わからないということは福音である。
なぜならその時、私たちはわからないということをわからないままに留めておく忍耐と、わからずとも考え続ける胆力と、わからないからこそ信じ委ねる信仰とを、教えられるからである。