諭しをとらえて放してはならない。それを守れ、それはあなたの命だ。
──箴言4:13
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「諭し」という言葉を聞いて、どういうイメージを持つでしょうか。
もしかしたら何か間違ったことをしようとしたり、してしまったときに、叱られる、というイメージがあるかもしれません。
その意味を辞書を引くと「よく言い聞かせて納得させ、教え導くこと」というような意味であることがわかります。
叱られることは誰にとっても嫌なことです。
しかし、叱られた時には「何が悪くて叱られているのか」をちゃんと悔い改め、「どうすればよかったのか」に向かっていくために受け止めるべき言葉、それが「諭し」の言葉であるのです。
さて、今日の聖書の言葉は「諭しをとらえて放してはならない。それを守れ」と勧められています。
しかしそこにこのように続いています──「それはあなたの命だ」。
なぜ、諭しの言葉をを聞き入れ、悔い改めることが「命」であるのでしょうか。
それは、諭しという言葉が持つもう一つの意味に目を向けるとわかります。
実はこの言葉は「神様からのお告げ・言葉」という意味も持っているのです。
現代において、神様の声を聞く、ということはあまりにも非現実に思えるかもしれません。
しかし、クリスチャンはそういう表現を使うことがあります。
というのは、誰かから何気なくかけられた言葉が、その時の自分にとって大事な言葉として心に響いたり、その後の人生を大転換させてくれるきっかけの言葉になったりする──そういう経験をするとき、「あの言葉は神様があの人を通して語ってくださったのだな」という捉え方をすることがあるからです。
たった一言の諭しの言葉、私たちを教え導く言葉が、私たちの人生すら左右する神様からの言葉になることがある、ということが起こるのです。
諭されること、自分の間違いを指摘され、納得させられる、そんな言葉を受けた時、あなたはどのように思うでしょうか。
いやだな、早く終わらないかな、とだけ思っていたら、何も成長にはつながりません。
もしかしたら次も同じ間違いをしてしまって、また嫌な気持ちを抱えながら、ずっとつらいままになるかもしれません。
でも、そのような諭しの言葉を、自分の人生を良い方向に教え導いてくれるありがたい神様からの言葉として受け取るとき、学べることがたくさん見つかるはずです。
そうすれば、あなたの人生から、周りの人から叱られることも、嫌な気持ちになることもどんどん少なくなっていくでしょう。
謙虚さと感謝の言葉が自然と出てくることでしょう。そしてあなたの人生はさらに明るく照らされることになるでしょう。
自分の間違いに向き合うことは、大変なことです。
誰にとっても気が進まないことでしょうし、それを他の人から指摘されると、余計に腹が立つかもしれません。
しかしそれを謙虚に諭しの言葉として受け取り、その度に一つ一つ、丁寧に、悔い改めて改善するという習慣を付けていけたなら。その習慣が、あなたの命、人生を造り上げていくのです。