信仰によってあなたがたの心の内にキリストを住まわせ、あなたがたを愛に根ざし、愛にしっかりと立つ者としてくださるように。
──エフェソの信徒への手紙 3:17
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旧約聖書の物語を読んでいくと、ユダヤ人たちはある時エジプトに移住をし、何百年もそこで繫栄し、またエジプトを脱出してパレスチナの地へと帰っていくという物語も記されています。
その道すがらで金の小牛像を神に見立てて建造し、神様から叱られるということも起こるわけですが、それだけユダヤ人たちの宗教観、旧約聖書の宗教観には、エジプトにおける宗教や価値観の影響が大きかった証でもあると思います。
そのような関わりの中で、古代エジプトの格言を一つ、今日はご紹介したいと思います。
「人は死と世を理解する以前の子供として10年間を過ごす。
人は生きていくための教育を身につけるために次の10年間を過ごす。
人は生きるのに必要な財産を得るために次の10年間を過ごす。
人は心が相談相手となる以前に老年に至るまでの10年間を過ごす。
そして人には神が聖人に与える全人生の内の60年が残っている。」
実際のところ、古代エジプト人たちの平均寿命は40歳くらいだったと言われています。
つまり、ほとんどのエジプト人にとって人生に最も必要だと思われるものがあげられているということです。
最初の20年をかけてこの世のいのちと死についての教養を得、教育を受けるということは、その後の10年、私たちが生きていくための財産を得るために用いられるものなのです。
そしてその後に、「心が相談相手となること」を得るための10年がそこに続いていくのだというのです。
まず私たち自身がこの世界のこと、そして先人たちが残したあらゆる知識と知恵を得ることから、私たちの人生は始まるのです。
そしてその知識と知恵を用いることによって次は財産を得ていくわけですが、その財産を何に用いるかと言うと、「心を相談相手とする」余裕、つまり自分自身を豊かにするための時間を買う、ということに繋がっていくのです。
古代エジプト人において人生の完成形は、高い地位や名誉を得る事や、莫大な財産を得る事ではなかったということです。
何よりも大事なことは、私たちがこの世のあらゆることについて、あるいは自分自身について、立ち止まって深く考えを巡らせることなのだというのです。
先日、『ゼロ秒思考』という本を買いました。この本のサブタイトルは「頭がよくなる世界一シンプルなトレーニング」です。
この本の著者は言います。私たちはよく「深く考える」ことを求められるけれどもどうやって「深く考えるか」はよくわからない、と言う人が多いのではないかと。
しかし実際には私たちは既にその力を持っているにも関わらず、それを使っていないだけなのだと述べていきます。
自分がいったい何を考えていて、それを客観的に見つめて深めていくためには、自分自身と対話するように、自分の考えを文字としてどんどん書き出していくのです。それが、自分に自信を与え、深く考える訓練になる、というのです。
自分の心を相談相手として、深く考えを掘り下げる訓練をすることで、私たちは他の誰かとコミュニケーションを取ろうとするとき、明確に自分の考えと思いを言葉にすることができるようになるのです。
それは私たちが、40年では終わらない人生を豊かに過ごしていくためにも役に立つことなのです。
今日の聖書の言葉は、私たちの心の内にイエス・キリストを住まわせるように、と勧めます。
それは私たちが常に誰かと共に生きる存在であるからです。私たちが得るその知識と知恵は、周りの人々に愛をもって関わりあうために用いるべきものだと聖書は言うのです。
そのために、私たちの心の内に生きてくださる神様──イエス・キリストというお方を聖書から深く知り、人生における豊かな相談相手として、私たちの心の内に迎え入れていきたいのです。