永遠をつなぐことば


初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。

──ヨハネによる福音書1:1

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ヨハネによる福音書の1章1節は私にとって、とても思い出深い箇所です。
中学三年生のころ、演奏旅行でドイツに行く機会がありました。
ルーテル教会を作った宗教改革者マルティン・ルターもまたドイツ人でしたし、大学で第二外国語を選ぶ際には自然とドイツ語を選びました。

ある時初めて、ドイツ語の勉強もかねてドイツ語で聖書を読んでみようと思いました。
ちょうど手元にルター訳のドイツ語の聖書がありましたので、パッと開いてそこを読もう、と思ったわけです。
そこで開いたところが、今日の箇所でした。

「Im Anfang war das Wort, und das Wort war bei Gott, und das Wort war Gott.」

これを日本語に訳した時、私は、500年も前の人であったルターと、時代を超えて繋がったような気がしました。
当時はラテン語でしか訳されておらず、民衆のほとんどが読むことのできなかった神の言葉が、誰にでも読めるようになった。
それが、ルターのドイツ語訳聖書でした。
言葉は、どれだけ時間に隔たりがあったとしても、時代の壁を越えて、また国と人の壁を越えて、私たちをつなげてくれるものなのだということを、その時直観的に感じたのをよく覚えています。
そしてそれは、ルターの時代の人々がそうであったように、この世界を作られた神様と、今を生きる私たちをも同じようにつなげてくれるものなのだと思います。
そしてこの箇所は、実は教会ではクリスマスに読まれる箇所でもあるのです。

この世界を、神様は言葉によって造り上げられました。
それは、私たちひとりひとりのいのちもまたそうです。
この世界に生まれなさい、この世界で幸せに生きていきなさいと神様が願い、祝福し、言葉にしてくださったから、あなたはこの世界に生まれ、今日ここに生きている。
聖書はそのようにわたしたちのいのちを捉えているのです。
そして、私たちがこの世界に生まれたあとも、神様の言葉がいつもあなたと共にあるように──あなたがどこからきたのか、そしてどのように生きていけばよいのかを忘れないように、イエス・キリストは人となった神様の言葉として、私たちと同じ世に生まれてきてくださった。
それが、クリスマスと言う出来事なのだと聖書は語るのです。

私たちの周りに、ことばは溢れています。
あなたを迷わせる言葉もあれば、傷つける言葉もある。
あなたを喜ばせ、あなたを安心させる言葉もある。
あなた自身が誰かに言葉をかけることもあるでしょう。

しかし何よりも大事なことは、あなたが今日ここに生きていることを喜べるようになることです。
そうなってほしいと神様は願い、イエス・キリストの言葉、聖書の言葉をあなたに出会わせてくださっているのです。
ありのままのあなたを心から愛してくださる神様がいる。
だからあなたも、そんな神様の言葉と共に生きていってほしい。
あなたの周りの人々にも、そのような愛に溢れた言葉をかけていってほしい。
そのようなクリスマスのメッセージを届けに、イエス・キリストは時代を超えて、このクリスマスに、あなたに語り掛けられるのです。