すべて良い木は良い実を結び、悪い木は悪い実を結ぶ。
良い木が悪い実を結ぶことはなく、また、悪い木が良い実を結ぶこともできない。良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる。このように、あなたがたはその実で彼らを見分ける。
──マタイによる福音書7:17-20
1900年代、インドはイギリスの植民地でした。
その当時、インド独立のために大きな働きをした人の一人に、マハトマ・ガンディーがいます。
彼は非暴力・非服従の精神を説き、またヒンドゥー教徒とイスラーム教徒の対立にも心を痛め、宗教間の融和にも力を入れた人でした。
そのガンディーはこのような言葉を残しています。
人間はその人の思考の産物にすぎない。人は思っている通りになる。
私たちが考えていることが、私たち自身を造る、というのです。
ガンディー自身も今日の聖書の箇所──イエスの山上の説教に大きな影響を受けたと言われています。
あなたの目に見える行動が、あなたという人間がどのような人間であるのかを証明している、とイエスも今日の聖句を通して語っているのです。
私は中学生くらいの頃、自分のことを良い人間だと思っていました。
人に優しくするのが好きだし、悩んでいる人の相談を受けるのも苦ではないし、相手にアドバイスをすることで何かが解決したというのなら、それが自分の喜びにもなる、そんな自分は良い人間だ、と思っていたのです。
しかしある時、友人から「あなたは偽善者だ」と言われました。
すごくショックでした。でも振り返ってみると、確かにその通りだったんです。
悩んでいる人の相談を受けても、相手の気持ちに寄り添い、共感してあげるというよりも、自分だったらこう思う、だからこうすべきなんじゃないか、という解決策ばかりを出していました。
それによって確かに前向きになれた人もいましたが、逆に自分の気持ちを受け止めてもらえなかった、ともっと傷ついてしまった人もいたのです。
どれだけ独りよがりで、傷ついた人を利用して気持ちよくなっていたか、と深く反省をした出来事でした。
先日、子どものために「ふわふわとちくちく」という言葉選び絵本を妻が買ってきました。その前書きに、このように書かれていました。
「ことばは心です。どんな言葉を選ぶかで、その人の心がわかります。」
「大切なのは、ことばを選ぶ力です。言葉は、たった一言で、相手をうれしくさせたり、逆に悲しませたりすることもあるということを理解し、適切な言葉を選ぶ力を身に付けることが大切なのです。」
私たちは、変わることができます。
イエスもまた「良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる。」と言われました。
聖書が勧めている通りに生きられない私たちがいます。
いい人間だと思って生きていたら、実はそれがとても自分勝手な振る舞いだったことに気付かされることがあります。
しかしそれに気付くことが大事なのだと思います。
気付くことによって、「良い実を結ばない」私たちを、神様が焼き付くして滅ぼしてくださるのです。
私たちはいったい、どのような実を付けているでしょうか。
あなたの振る舞いは、本当に良い実といえるものでしょうか。あなたの言葉はどうでしょうか。
もし自分を変えたいと思うのであれば、その心から変えていかなければなりません。
自分の心の薄暗いところに目を向けてみましょう。そこに、神様はあなたを燃やし尽くし、あなたを新しく良い木にしてくださる火を携えて、待っておられます。
今日、少しだけの時間を取って、自分が変えたいと思う部分を振り返りたいと思います。
そして、そのような部分をどうか新しくしてください、と神様に祈ってみましょう。
そのような悔い改めの心が、きっと新しいあなたへ変えさせる一歩へと繋がっていくはずです。