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音楽は心のカタチをしている

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久しぶりに楽器を誰かと一緒に演奏する機会があった。

小学一年生からヴァイオリンを習い、中学3年生でビオラ(Viola)に転向したのだが、大学に入るにあたって地元から離れた結果、それ以降積極的に弾く理由がなくなってしまった。

なんというか、長年の友達だったけど試しに恋人同士になってみたらあんまりうまくいかなくて、友人に戻ったのはいいが距離感がよくわからなくなっており、なんとなく疎遠にはなったけれども、久しぶりに会うとやっぱり楽しい、みたいな関係性を今は続けている。

楽器の話です。

楽器は一人で弾くもんじゃないなと思う。一人で弾きたい人ももちろんいるだろうが、なんというか自分にとって楽器とはコミュニケーションの道具なのだ。それは別に楽器をダシにして出会いを求めるという邪な意味ではなく、楽器を一緒に演奏することによってその瞬間だけなんだかよくわからないけど一体感が生まれるアレ、アレが結構好きなのだ。今日のコンサートはビオラとオルガンのデュエットだったのだが、グルーヴとかいう表現がしっくりこないので、アレと表現せざるを得ない。

音楽は心を映し出すという。これは結構本当の話で、楽器をある程度続けている人ならだいたい通じる話だと思っている。たとえ外面でニコニコしていても、実は昨日うっかり目を離してお気に入りのフライパンを焦がしちゃったりしていると、しょんぼりした音が鳴る。怒りも喜びも悲しみも音を聞けばわかる。自分のほんとうの気持ちを知るバロメーターになることもある。自分の音を聞いて判別してくれる人がいる場合限定なのだが。

音楽は音を楽しむ、と書く。その通り、心に深く結びついているものだと思う。それは聞いている側も、演奏する側も同じだ。心が入っているから「響く」し、「揺さぶられる」のだ。

この表現が音にも心にも使われるということに今気づいた。音楽というのは多分、心を他者にも分かるように形作り、互いに通わせるものとして編み出されたものなのかもしれない。