kyrie.

Christian,Bible,Games,and Diary.

独身と結婚


“1日だけ他の誰かになれるとしたら、誰になりますか ? それはどうしてですか ?”

こういう時、だれか一人わかりやすい個人を挙げられたらいいのだが、あいにくこの人になりたい、という人がいない。
それは多分、「あの人のような人生を歩みたかった」という憧れを他人に強く抱くほど、自分の人生に対して否定的でないからかもしれない。

だから、もし一日だけ他の誰かになりたい、ということを今の自分以外の状態になりたい、と読み替えていいのであれば、「独身で、付き合っている人がいない状態の自分になりたい」というのが答えになるだろう。

独身に戻りたい、と思っているわけではない。
ただ、結婚をするということは、独身だからこそ謳歌できるものをあきらめなければならないということだ。これは反対もそうで、結婚をしなければ、独身のままでは決して得られないものもたくさんある。
生涯を添い遂げるパートナーが見つかったことは本当にその時のめぐり合わせとしか言いようがない。誰かと結婚をする、ということも、昔よりもずいぶんハードルが上がってしまった今の時代において、ある意味では状況と勢いに背中を押されて出来たことも、自分にとってはよかったことかもしれない。

結婚生活の良かったところと悪かったところをここで一つ一つ挙げていくことはしないが、一言でまとめると「自分に信頼を置いてくれるほかの誰かが一緒にいてくれる」ということに尽きる。

誰かに信頼されている、そういう人と一緒に生活をする、ということは、目に見える支えあいや助け合いだけではなく、心においても支えあうことがある。多分結婚して最も自分がよかったと思えることはそこだろう。
自分一人では抱えきれない気持ちや問題を抱えたとき、同じ立場で(しかし違う価値観と考え方で)向き合ってくれる相手がいる、ということは、心強いものだ。一人では乗り越えられないことも乗り越えられる気がしてくるし、人は決して一人では生きていないことを実感させられる。感謝と謙遜、気遣いと支えあい。慰めと励まし。喜びが二倍になり、悲しみは半分になる。いろんな言葉で表現される「家族になる」ということの良い面は、もれなく間違いではなかったことを知る。

一方で、「自分以外の誰かが常に一緒にいる」ことは、間違いなくストレスでもある。信頼ゆえのすれ違いも起きる。
人はワガママな生き物で、誰かと一緒にいたいと思うこともあれば、だれの目にも届かない一人になりたい時間も欲する生き物だ。多分結婚することで失われてしまう最も大きな要素がこれにあたるだろう(家族がパートナーと二人だけなら一時的に取り戻すことはできるが、決して同じではない)。子どもが生まれると余計にそうである。

この世の動物の中で、生まれて数時間~数日以内に親と同じように自分で動いたりできない動物は人間だけだと聞いたことがある。人間は体の構造上、生まれた時点では未完成の状態で生まれてくる。歩くこともできないし、首も座っていないのでふにゃふにゃで、骨も柔らかいので慎重に慎重を期して世話をしなければならない。当然、ごはん(ミルク)も自分で得ることはできない。
子どもが生まれてから1年間の記憶がない。確かに写真は残っているし、過ごしてきたことは覚えているのだが、「あれ……いつから○○できるようになったんだっけ……」などと細かい部分はすべて忘却の彼方に飛んで行ってしまい、なんだかいつのまにか子どもは走るしジャンプするし歌うし踊るし喋るし自分でご飯を食べる生き物になっている。

子どもが生まれると、夫婦二人だけで過ごしていた時にはまだ確保できていた自分一人の時間というのが、完全になくなってしまう。仕事をするか、子育てをするか、妻をねぎらうか、残った家事のあれこれを手伝うかのどれかである。さてすべてが片付いたと思ったら寝る時間である。
ここで睡眠時間を削ってまで趣味の時間を取るほうが良いだろうか?答えはNOだ。なぜならそうした次の週には体調が絶不調になり、趣味以外のすべてのことが余計にはかどらなくなってしまったからだ(そして余計に余暇がなくなる)。

わが子の親となる、ということは、わが子が生活の中心におかれるということだ。それは頭の中の考えもそうなる。わが子のために何をすればよいかということばかりが頭によぎる。

これは良いことであり、悪いことでもある。行き過ぎれば子が親の理想を体現するためのキャンバスになりかねない。しかし遠ざかることはできない。だからこそ、独身に戻ることはできないが、いったん親としての自分から離れて、一人の個人、あるいは夫婦という関係性を呼び覚ます瞬間が必ず必要になる。それは親としての自分を健やかに保つために必要な時間だ。
子育てをしていた最初の1年の中で、夫婦で交互に近くのホテルに一泊する、という親プチ休業を取っていた。しかしそれをしても、独身であったころの自由は決して帰ってこないということを知ったのだ。

だから、1日だけであるのなら、独身であるという状態で過ごしたい。夫婦と子どもがいて、そこから離れるというだけでは決して得られない、かつての身勝手で自由で浪費に満ちた生活を、1日だけでいいから、もう一度過ごしたいと思う。
これが1カ月や1年と言われてしまうと、たぶん違う答えになるだろう。それほどの時間、妻や子どもと離れ、忘れ去ってしまうことはしたくないと思うからだ。それは、苦しいからとか幸せだからとか、そういう理由を天秤にかけるまでもなく(天秤にかけられるものでもなく)、同じように言える。
多分これが愛と呼ばれるものなのかもしれないし、その愛のゆえに、結婚したことと子どもを持った自分に、衒いなく「よかったね」と言えるのだ。