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育児が教えてくれたこと


“人生において最も成長できた経験は何ですか ?”

色んなことがあって手放しにはそう言えないけれど、振り返ってみたら「育児」が自分が一番葛藤し、悩み、でも一番多くのことを教えられている経験だと思う(現在進行形)。

人が人を育てる、ということは、とんでもなく大変なことだ。物理的なお世話の忙しさを前提として、その過程において精神的にも追いつめられることも多い。そうして、何度も自分自身の未熟さや弱さを露にされるという経験になるからだ。
生まれたばかりの赤ん坊は、誰かによってお世話されないと、生きていくことはできない。歩くことも着替えることも、用を足した時それをきれいにすることも、ご飯を自分で食べることもできない。言葉も話せないし、最初の1,2か月はほとんど笑いもしない子もいる。

だから、見返りのない愛情を注ぐということがどれだけ難しいことかを、育児を初めて経験した親はまず気付かされるのだと思う。
赤ん坊が生まれる前に想像していた、夫婦笑顔で赤ん坊をだっこしてただただ幸せ~みたいな育児は夢物語だ。3時間ごとにミルクをあげる(3時間未満のこともしょっちゅうだ)というだけではなく、その3時間の間におしめを替えたり哺乳瓶を洗ったり、すやすや寝てくれることも少ない時だってある。それに加えてそもそも生活するための家事もあるし、自分自身の睡眠も確保しなければならない(なお、確保することはほとんどできない)。

加えて、出産後の女性というのはホルモンバランスがめっちゃくちゃに乱れていて、精神状態が落ち着くまでに1年近くかかる。特に出産後1か月は絶対安静が必要なくらいに体が傷ついている。
でも、絶対安静なんて出来ない。お世話が必要な赤ん坊が目の前にいるから、世の女性の中には、交通事故でトラックにはねられた直後みたいなボロボロの状態で育児を始めなければならない(これは比喩だが結構現実味のある表現だと思う)。

こんな大変なことを、妻だけに担わせるわけにはいかない。幸いにも自分の仕事が平日は家にいてもできるものだったから、なんとか仕事をしながら夫婦二人で育児をしていた。
でも、最初の1年間の育児をほとんど覚えていない。子どもを手放しに「本当にかわいい」と思えたのは、(おそらく妻もそうだが)1歳を過ぎて少し経ったくらいだった。

ここで自分がどれだけつらかったかということはいくらでも書き連ねることはできるけれど、そのつらさというのは、自分自身の人間的な未熟さの裏返しであったと今では思う。
自分がどれだけ自分のことだけで精一杯になって、自分勝手な、愛のない人間であるかを知らされる。それが、育児の最初の1年間を通して気付かされたことだった。

だからこそ、その未熟さに否が応でも向き合わされることを通して、人との関わりにおいて最も大切なことを教えられる経験にもなった。
自分には無償の愛など注ぐことはできない。けれども自分の子どもが、自分のお世話の対価としてではなく、ただ純粋に笑顔をニカッと浮かべるとき、この子にとってこの世界が幸せなものであってほしいと願ったのだ。
そして、この子にとって世界の入り口は、親である自分が整える必要があるのだと思わされる。そのために、自分勝手な自分を満たすための時間を後回しにする必要をどうにか飲み込んできたのだ。

だから、僕らが生きて、誰かと関わるということは、優先順位をつけることだ。自分がやりたいと思っていること、自分がやらなければならないと選択したこと、誰かに対してやらなければならないと思うこと、誰かが喜ぶからこうしたいと思うこと。
その優先順位を、状況に合わせて組み替え続けることで、自分と誰かとの関わりのバランスを取っていかなければならない。時には自分の子どものために、自分自身を満たすあらゆるものを投げ捨てなければならない時もある。
僕は暇さえあればゲームに触っていたい人間だけれど、このところまったく触れられていないので頭が爆発しそうになっている。でも、我が子がほっぺをぱんぱんにしてふりかけおにぎりをおいしそうに頬張っているのを見ると、それでもいいかと思えてくるのだ。

バランスよく自分も周りも満たすことが出来なくなること、自分よりも子どもを優先せざるを得なくなることが起こる時、少なからず自分を犠牲にしなければならない時がやってくる。
それを悩み苦しみながら選択し、それでも我が子を見ると「まあ、いいか」と言えるようになることが、きっと親になるということかもしれないし、それもまたバランスを取るということなのかもしれない。

ただ、今そのように言えるのは、育児をやってきた1年間、妻がまるで戦友(とも)のように共に歩んできてくれたからだということを最後に思い起こしたい。
子どもが欲しいねと話し始めてから出来るまで、1年以上のタイムラグがあった。結果としてその時間があってよかったと思っている。パートナーとの時間を大切にすることと、育児に対してのあらゆる情報を分かち合い、精神的な準備を進めることができたからだ(それでも実際育児が始まると大変だったが、その時間がなかったらもっとどうなっていたかわからない)。

結婚と同時に出産が重なるカップルもいる。しかしそのようなカップルの離婚率が高いのは、この育児という大きなハードルを乗り越えるための関係性が出来上がっていないからだということが理由の一つとしてあるんじゃないかと感じている。
恋人同士と夫婦になってからの関係性というのは全く違う。急ぐ理由がない限りは、これから子どもを産み育てるという意味でのパートナーとして、お互いの関係性を深める時間があって悪いことはない。夫婦としての関係性の中で、前述のバランスが取れるようになることなしに、そこに子どもという新たな関係性が入ってきてしまえば、バランスの天秤はいとも簡単にどこかに吹っ飛んでしまうことは想像に難くないからだ。

ともあれ、自分にとって我が子が生まれ、育児に参加したということは、自分の中にある未熟さを自覚させられた経験だった。そこで自分は愛を為しえない弱さを持っている、ということを知らされたからこそ、なおさら愛をもって関わろうと意識できるようになる、そのことを我が子に教えられたのだと、今では思っている。