自伝を書くほど歳を取っていないし、大した人生経験があるわけではないけれど、もし書くとしたら、僕の人生を今の道に──つまり牧師としての人生へと繋げた聖書の言葉をまず最初に取り上げたいと思う。それは、ヨハネ福音書にある冒頭の言葉だ。
「初めに言(ことば)があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。」(ヨハネ福音書1:1-2)
この聖書の箇所が自分にとって思い出深いものになったのは大学生のことだった。
その時色々あって自分の通うキリスト教会の教派を強く意識したこともあり、ルター訳の(つまりドイツ語の)聖書を買ったのだ。
その聖書をパッと開いて目に入ったのが、ヨハネの冒頭の部分だった。どこでもよかったのだが、目に入ったところから訳し始めようと思って、この一節を日本語に訳した。
その時、自分が、数百年前にヴィッテンベルグ城で聖書を訳していたマルティン・ルターと同じところに立っているような気持ちになったのだ。
ルターがやったことは、イエスが新約の時代にやったことと同じことだった。
当時の宗教的権威であった律法学者たちや祭司たちを通さなければ神殿で祈ることさえできなかった神とのつながりを、イエス・キリストは一人一人が直接神と関われるようにしていった。
それと同じように、ルターは当時のカトリック教会の権威を通してしか関われなかった神との関わりを、聖書の翻訳という方法によって、再び人々に解放していったのだ。
その時の聖書の言葉を自分にも理解できる言葉に訳すということ。その体験が、自分をルターとの関わり、そしてイエス・キリストとの関わりに招き入れたように感じたのだ。
その時に触れた聖書の言葉は、くしくも「言(ことば)は神であった」。2000年におよぶ時間の隔たりを乗り越えさせ、繋げたのはほかならぬ神様であったのだと思ったとき、僕は雷に打たれたような感覚を受けて、「神様にはかなわない」と思ったのだ。
言葉は、時代を超えて人と人とを繋げるものだ。
だから神は、超自然的な力や奇跡をもってしてではなく、何の力も持たないようなぼくらの「ことば」を使って、関わりを持とうとされたのだ。
イエスが人間として──「言」として来られたのは、そういう意味があったのだと思わされた時、自分にとってのこのヨハネ福音書の言葉は、忘れられない聖書の言葉になったし、自分と神様とが深くつながっている言葉にもなった。
ただ、そうして牧師を目指すことになって、神学校(牧師になるための専門学校みたいなものだ)に行ったとき、この話をしたら、指導をしてくれた牧師は困惑した顔をして「この箇所はそういう風に読む箇所じゃないんだよ」と教えてくれた。
伝統的な解釈では、このヨハネ福音書の冒頭は、クリスマスの時期に読まれる箇所だ。そして、この「言」とはギリシャ語ではロゴス、つまりイエス自身を指す比喩表現だ。だから、この箇所は旧約聖書の創世物語の初めに、既にイエスが存在していた、ということを言わんがための箇所だ、という解釈が聖書学では一般的な読み方となっている。
牧師になってからは、あの牧師が言ったことはよく理解できるし、当時はそんな聖書の解釈など何一つ知らなかった。
でも、ずっとそのことに傷ついていた。
伝統的な聖書の解釈に沿って受け取らなければ聖書を読んではいけないかのような言いぶりが、あのとき自分が神様との関わりを深く感じた喜ばしい思い出を踏みにじったかのように感じたからだった。
はじめから聖書の伝統的で正当な解釈を知ったうえで聖書を読む、という人はほとんどいない。
誰もが聖書をそのままに読み、わからないなと首を傾げたり、そこで言わんとされている意図とは違う意味で受け取ったりすることだってあると思う。
しかし、それでも自分がある聖書の言葉によって励まされたり、驚かされたり、自分の歩むべき道を定められるという大きな出来事のきっかけになった解釈を、「伝統的な聖書の解釈」から外れているからと言って、有無を言わずに否定することはしてはならないと、牧師になった今でも思う。
聖書の言葉に、その本来の意味がわからずとも励まされることや力づけられることはあるし、それは正しい読み方かどうかにかかわらず、神様がその人に出会ったという体験だと思うからだ。
たとえ解釈が間違っていたとしても、それとはまた別のところで、その体験は個人のものとして大事にされるべきだし、僕にとってはその信仰体験がなければ、今の僕は存在しないからだ。
もちろん、陰謀論や誰かを恐れに突き落とすような終末論の解釈は退けられるべきだと思う。
しかし、「神は愛です(ヨハネの手紙一 4:16)」とあるように、私たち一人一人にとって励ましや慰め、助けや支えになるような、ポジティブな救いに繋がる受け取り方であるなら、僕は牧師としてそれを「よかったね」と言ってあげたいし、大事にしてほしい、そう願ってやまないのだ。