あなたがたはこの世に倣ってはなりません。むしろ、心を新たにして自分を変えていただき、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい。
――ローマの信徒への手紙 12章2節
+++
教会で働いていた時、こういうお誘いが来ました。
「教会の垣根を超えたキリスト教の学びができるセミナーを無料で受けませんか?」
なんだか怪しさを感じて断りましたが、後日、それが新興宗教による巧妙な洗脳セミナーだったことを教えられたのです。
彼らのやり口はこうです。たとえば私が呼ばれてセミナーに参加をしたとしましょう。
するとそこには別の教派の牧師を名乗る人が数人います。お互いは初対面、という”てい”でいるのですが実は裏でグルになっています。
最初に何人かが適当な発表をして、最後の一人がやたらと熱弁をふるってカルト的な教えを語ります。
普通ならそこで「なんかおかしいぞ?」と思うところですが、自分以外のグルになっている全員がその人の発表をべた褒めするんですね。
すると、「おかしいぞ」と思った自分のほうがおかしいのではないか、と思い始めてくる。
そうやって囲い込んで、だんだん自分の意見が信じられなくなるように促して、最終的には洗脳してしまう、という手法なんだそうです。
これは牧師に対してだけでなく、カルトや新興宗教があなたをだまし、入会させるためによく使われるやり方でもあるのです。
でも、このような経験をすることは珍しいことではないと思います。
自分以外の皆が同じ意見で、自分だけが意見が違うと、「いや、それは違うんじゃない」とは言いづらくなると思います。
明らかに自分の意見のほうが客観的にも正しいはずなのに、3人4人、いやもっと多くの人が、自分と反対の意見を持っていると、自分の中でその正しさが揺らいでしまうことって、ないでしょうか。
実はこのような傾向について、「アッシュの同調実験」という心理学の有名な実験で証明されているのです。
私たちの正しさをどこに置くのか。その基準を自分や他者に置くと、すぐに多数派に流されていってしまいます。
しかしこの世には、もっともらしい理由を付けて、誰かを傷つけたり、差別したり、蔑ろにすることを「正しいこと」にしてしまう、そんな現実があるのです。
私たちは弱いのです。いつも多数派の意見に流されてしまうことがあります。なぜならそうするほうが楽で、生きやすいからです。
でも、私たちは一人一人違う考え方を持っています。意見が違って当たり前なのです。
だからこそ今日の聖書の箇所も、そのような私たちに言うのです。
「あなたがたはこの世に倣ってはなりません。むしろ、心を新たにして自分を変えていただき、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい。」
神様にとって何が善いことで、何が神様に喜ばれることなのかを考えることが、本当の正しさの道筋であるのだというのです。
神様はすべての人を、心から大切にしているお方です。
この世の誰一人として、傷つけられていい人はいない。
たとえそのような考え方をする人があなた一人しかいなくても、それでもあなただけは、神様と同じ心をもって誰かと関わってほしい、と神様は願っておられるのです。
誰か一人だけが傷つくようなことのない、神様の愛と正しさを選んでいく、それはとても難しいことかもしれません。流されてしまうことだってあるでしょう。
だからこそそのたびに私たちは、今日の聖書箇所を何度でも思い起こしながら、聖書が教える正しさに立っていきたいと思います。