kyrie.

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失敗を失敗で終わらせない


“失敗 (または失敗と思われる) ことが後の成功にどのように影響しましたか ?”

失敗はともかく成功、という表現には当たらないかもしれないけれど、少なくとも僕の人生の中で初めての大きな失敗は、高校受験で目指していた高校に合格できなかったことだ。
そうして入った滑り止めの私立高校で、特進クラスに入ることが決まったとき、僕は苦々しい気持ちを抱えながら「ここを首席で卒業して、つばを吐いて出ていってやる」と思っていた。

しかし実際のところ、自分の成績は首席には程遠かったし(それでも上から5番目くらいの順位を取っていたけれど)、担任から「中学生が体験入学に来るから特進クラスの紹介をしてくれないか」とお願いされたあたりで、僕の苦々しい憎しみと反抗心はずいぶんしおれていた。
というのも、その特進クラスの紹介を依頼された理由が「お前がクラスの中で一番楽しそうにしていたから」だと担任から言われてしまったからだ。
つくづくネガティブな気持ちを持ち続けるのが苦手な人間なのだな、と自分を振り返ったのを覚えている。

ともあれ滑り止め高校に入学した僕は、その3年後、凄まじい成績低下でこのままでは行ける大学がない、というところまでいきそうなほど堕落していくわけだが(人間の怠惰の極みを試していたともいう)、それを救ったのが初年度の反抗心から来る好成績だった。
成績低下を加味しても3年間の評定平均が5段階中4.0を叩き出したおかげで、ある大学の神学部への推薦入試資格が取れたのだ。
奇しくもキリスト教主義学校同士のパイプがあったからこそ、這々の体で大学入学までこぎつけることができたのである。

また、推薦入試の結果待ちの時にも、別のキリスト教主義の大学から専願入試のお誘いが来ていた。
専願入試となると、受ければほとんど合格は確定したようなもので、周りの先生方もそれを勧めた(学校での僕の不良具合を知っていれば当然だっただろう)。
ちょうど推薦入試の結果が出る数日前がその専願入試の出願の締切だったのだが、僕はあろうことがそれを断ったのである。
推薦入試の合格に確信があったわけではない。周りがそれを心配するレベルだったのだ。誰が見ても受からないと思われていたのだろう。
合格発表後の登校時に、特進クラスのヤンキーが(頭の良いヤンキーは実在する)ニヤニヤしながら「どうだった?」とトイレで聞いてきたので、澄ました顔で「受かったよ」と返した時の顔が忘れられない。鳩が豆鉄砲を食らったような顔というのはああいう顔を言うのだと思う。

そう、なんだかわからないが、首の皮一枚で大学受験の合格を手に入れた時、一体何が起こっているのか自分でも理解が出来なかった。
その大学の神学部に行ったことで、僕の純粋培養の信仰はボコボコに打ちのめされ、今みたいなキリスト信仰に至ることになったし、牧師になることもなかったかもしれない。
そう、振り返ってみれば、今の僕になるためには、あのとき受験に失敗していなければならなかった。
もし失敗していなければ、推薦も貰えず大学に行けていたかも怪しいし、大学だってキリスト教主義の学校だったかもわからない。キリスト教を勉強していなかったかもしれないし、牧師になる道も開かれなかったかもしれない。

たしかに僕は受験に失敗した。他にもたくさん堕落の限りを尽くし、失敗だらけの高校生活だったと思う。
でも、その道を歩まなければ、今の自分とは全く違う道に行っていたかもしれないと思うと、あれが単なる失敗ではなかったと思わずにはいられないのだ。ともすれば、必要な歩みであったと思わざるを得ないのだ。

「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。」(伝道者の書3:11/口語訳聖書)

僕らの人生には失敗がつきものだ。
しかしその失敗がきっと何かにつながっていく。今の自分へとつなげられていく。
振り返ってみれば、失敗が今の自分にはかけがえのないものになっている。
そういう僕らの認識のずっと外側で動いているものがある。それを僕は神様と呼びたいと思う。
だから、失敗を失敗で終わらせない、そういう神様がいる。
そしてその神様の存在は、僕らが失敗をしたとき、顔を上げさせ、ずっと先を見つめて再び歩みだすようにと、背中を押してくれるのだ。