イエスは言われた。「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』
これが最も重要な第一の掟である。
第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』
──マタイによる福音書22:37-39
仏教、特に上座部仏教の正典に、「相応部(サンユッタ・ニカーヤ)」という書がありますが、その中に、コーサラ国の王族とブッダが対話する場面が記されています。
ある時、王が「自分自身よりも愛おしい者が他にいるだろうか」と問い、王妃は「自分以上に愛おしい者はおりません」と答えました。
これを受けたブッダは、「人の心はどこを指し示そうとも、自分より愛おしいものを見出すことはできません。そのように、他の人々にとっても自己はこよなく愛おしいものです。したがって、自分を愛する者は、他者を害してはなりません」と説きました。
ここから転じて、「あなた以上にあなたの愛や愛情を受けるに値する人間は、この世界のどこを探してもいないのだから、自分を大切にしなさい」と仏教は教えています。
けれども私たちは、自分のことを一番大事にできているでしょうか。
自分自身を好きだとは思えない、と言う人や、特に嫌いではないが、どうしたら自分のことを好きになれるかわからない、という人もいるかもしれません。
だからこそ、イエス・キリストは「聖書の教えの中で一番大事なことってなんですか?」と尋ねられた時、旧約聖書の言葉の中から2つの言葉を選ばれました。
それは、ブッダが勧めたような「隣人を自分のように愛しなさい」という勧めだけではありませんでした。
その前に、「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。」という言葉も選ばれたのです。
つまり、私たちが世界の中で誰からも愛されていないように思えても、自分で自分のことを好きでなくても、それでもただ一人だけ、決してあなたのことを愛し、大切に思ってくれている神様がいる、ということです。
ある生徒が「神様って何歳なんですか」と質問してくれました。
面白い質問です。「神様のおられるところでは、 一日は千年のようで、千年は一日のようです(2ペトロ3:8)」という聖書の言葉もありますから、実際に何歳ということは数えられないかもしれません。
しかし、少なくとも旧約聖書が書かれた何千年も前からいらっしゃったのでしょう。
私たちにとって果てしない時間が過ぎてなお、聖書の言葉は、私たちにとって大事なことを伝えてくれている書物として存在しています。
それはつまり、神様もまた、何千年も変わることのないお方であることの証であると思います。
だからこそ、神様があなたに向けておられる愛も、大切に思う気持ちも、変わることがありません。
人間がどれだけ不信仰でも、間違ったり、誰かと仲違いをしてしまったり、自分のことさえ大事にできなくても、それでも、いや、そうだからこそ、神様だけは、あなたのことを見捨てないのです。
それを私たちに直接伝えに来た神様こそが、イエス・キリストと言うお方であったと、聖書は私たちに教えるからです。
そんな神様の心を、私たちが信じて受け取っていく時、自分をどのように大切にすればよいかを教えられるのです。
それがあって初めて「隣人を自分のように愛する」ことへと向かっていけるのだと思います。
お互いに感謝を交わしあい、お互いに必要なものを分かち合うことのできる愛に満ちた関係性を、私たちも周りの人々や神様に対して保つことができるように、イエスが紹介した「聖書の中で最も重要な掟」を繰り返し思い起こしたいと思います。