あなたがたはこの世に倣ってはなりません。むしろ、心を新たにして自分を変えていただき、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい。
──ローマの信徒への手紙 12:2
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ノルウェー科学技術大学のオードリー・ファン・デル・メール博士は、2024年に、「Handwriting but not typewriting leads to widespread brain connectivity(タイプ入力ではなく手書きが広範な脳内結合をもたらす)」というタイトルの論文を発表しました。
オードリー博士は大学生を対象に、タッチスクリーンにデジタルペンで手書きした場合と、キーボードでタイピングした場合とで脳の活動を測定し、比較しました。
結果は明白でした。
キーボードで文字を打ち込んでいる時より、手書きをしているときのほうが、脳は記憶や新しい情報の取り込みに関わる広い領域で活発に働いていたのです。
むしろ、キーボードでタイピングした場合には、脳内ではほとんど反応が見られませんでした。
ですから子どもたちにとって、早い時期から手書きで文字を書くという経験を積んだほうが、学習にとって良いということを証明した論文でした。
確かに、私たちの周りのテクノロジーはどんどん発達しています。
スマートフォンで検索すれば瞬時に答えが出て、AIに頼めば文章もまとめてくれる。
ノートに書き写すよりも写真を撮ればいい、手紙を書くよりもメッセージを送ればいい。
そう感じてしまうほど、デジタルの便利さは私たちの生活の隅々にまで入り込んでいます。
しかしオードリー博士の研究が示しているのは、そのような便利さに任せて私たちがペンを手放していくとき、私たちの脳は静かに、成長を止めてしまうかもしれないということです。
そのような私たちに、聖書の言葉は変わることなく警鐘を無らし続けています。
パウロは今日の箇所でこのように語っているからです。
「この世に倣ってはなりません。むしろ、心を新たにして自分を変えていただき、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい。」
パウロが言った「この世」とは、彼が生きた時代とはまったく異なる形の「この世」かもしれません。
それは、指先ひとつで何でも済ませてしまえる、快適で便利な世界です。
パウロは私たちに、「この世に倣ってはなりません」と呼び掛けます。
しかしパウロはここで、便利な今の世界を拒絶しなさい、と言っているのではないのです。
それは、あなたが何も考えずに、便利なものに流されてしまってはいないだろうか? という鋭い問いかけなのです。
パウロが勧めるように、私たちが「心を新たに」すること。
それは受け身になるのではなく、積極的に、意識的に、自分の知性、感性、想像力を働かせ続けなさいという勧めなのです。
ある時、聖書の授業で小テストをしたときに、ノートの代わりにiPadを見ていいかと申し出た生徒がいました。授業の板書をiPadのカメラで撮っていたからです。私の答えはNOでした。
板書を自分の手で書き写すことは、子どもたちの脳にちゃんとそれを身に着けさせるために良い方法の一つだと信じていました。
だからこそ、今どき古臭いと思われても、黒板にびっしりとチョークで事細かに板書をするという授業スタイルをずっと取り続けています。
実際、大人になればなるほど、ペンを持ち、ノートに何かを書くという経験は少なくなっていくでしょう。
私自身、このメッセージも初めから最後までペンではなくキーボードだけで書き上げているからです。
しかしたまには、そんな私たちも、手書きで書くことを意識をしてみてはどうだろうか、と思うのです。
キーボードではなくペンを持って、たまにはスマホのメッセージではなく手書きの手紙を書いてみましょう。
一つのニュースを知るために、AIの要約に頼らず、自分で複数の記事を調べてまとめてみましょう。
ただ知識をため込むのではなく、そこにどのような面白さがあるのかを考えてみたり、自ら実践に移してみましょう。
そうやって私たちはきっと、何歳になっても本当の意味で深く学び、身につけ、考え、成長していくことができるのだと思います。
そのようにして私たちが豊かにされていくこと、神様から与えられた知恵と力を衰えさせることなく用いる事を、神様もまた喜んでくださるのです。